funsou.jpg「『国境なき医師団』看護師が出会った人々」が副題。白川優子さん。「国境なき医師団」に小さい頃から憧れ、看護師となり、日本で勤務する。MSFに入りたいと、オーストラリアで看護と語学を学ぶ。英語、フランス語は必須だという。2010年、36歳で念願を叶えMS F に参加。手術室看護師として、イエメン、シリア、イラク、南スーダン、ネパール、パレスチナ(ガザ地区)、アフガニスタンなど紛争地や被災地を中心に活動する。昨年8月は、混乱のアフガニスタンへ行き活動する。人道援助の現場で巡り合った人、暴力が渦巻く場所で懸命に生きる市民の姿、彼らを支える技術者たちの戦いをレポートしている。

「常に戦争に翻弄されてきた南スーダンの人々。赤ちゃんはお母さんのおっぱいを吸う力さえなく、飲み水も底をつき、ナイル川の水を塩素消毒してしのぐ。ナイル川には、戦闘で増える一方の遺体が流されていた」「初めて赴任したスリランカ。空爆によって下半身麻痺となった元少年兵の葛藤」「パキスタンのペシャワールで点在するアフガン難民キャンプで母子保健・ 産科医療プロジェクトに参画。男性中心主義の根付いている社会では、女性たちの医療機関にかかる機会がほとんどなく、妊産婦と乳幼児の死亡が極めて高かった。安全なお産を提供したい。女の子の赤ちゃんは嫌われた」「パレスチナ自治区ガザ地区は194万人の監獄でもあった。だが公衆浴場(ハマム)は賑わい、そこで出会った女の子から『ガザの外ってどうなっているの』と聞かれた」「イエメン女性はアバヤとスカーフ。イスラム教徒の女性とおしゃれの世界」「シリア内戦。地雷と戦う市民たち、重傷を負って見つめ合う父と娘。2012年に車窓から見た美しいシリアは現在、人々の血と叫びと涙で埋めつくされている」「7年間続いたメルボルン滞在。多民族が融和して暮らしている多人種・多文化都市であった」・・・・・・。

あまりにも過酷で重要な看護師の仕事。イラクのモスル解放の日に、ジャーナリズムは戦争が終わったとして去っていった。しかし医療は戦後もずっと続く。「報道が戦争の事象に終わらず、そこに生きている人々の姿をもっと伝えて欲しい」との思いを語っている。また2015年のアフガニスタン。MSFの病院が空爆を受ける。「なぜ医療施設が攻撃されるのか」との思いを深くする。「病院は市民の心の支えでありたい」との願いを語る。また、MS Fの柱となっているのがロジスティシャンであり、想像を絶する凄まじい戦いをしてることを述べている。後方でのバックアップ、寄付で支援する善意の人々を紹介する。

最後に「なぜ世界から人道危機がなくならないのだろう。同じ人間同士ではないか。なぜ理解し合い助け合えないのだろう。医療援助、人道援助をあとどのくらい、どこまで頑張ったら人道危機は収まるのだろうか。どれだけの声をあげたら国際社会は耳を傾け、解決に向かってくれるのだろう」と言っている。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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