nihonsi.jpg「定説」も「最新学説」も一から見直そう、と言っているが、日本の歴史がきわめて明確に見えてくる。時代の流れがよくわかる。

「この国の形は時代によって変わる――日本列島が一つの国といえるようになったのは、1590年、秀吉による奥州平定の完了時点」「古代――ヤマト王権の力の源泉は大陸・半島にあり。白村江の戦いが日本というアイデンティティーの誕生。天智天皇・天武天皇・持統天皇の三代で日本の原型。律令体制は現実からかけ離れた非現実なものだがタテマエの力でもあった」・・・・・・。

「平安時代――朝廷は全国を支配できていない。坂上田村麻呂は東北を平定していない。遣唐使の廃止は唐の混乱で外圧が弱まった。摂関政治の開始と菅原道真の左遷。貴族が地方を放置し東国に朝廷と別の体制をつくる平将門の乱。関東に先に進出した平氏。実はモロかった摂関政治。保元の乱と平治の乱で地方で力をつけてきた武士が政治の主導権を握る。平家政権は武士の政権だったのか」・・・・・・。

「鎌倉時代――関東武士はなぜ頼朝を担いだのか(頼朝の外交力)。朝廷に骨抜きにされないよう頼朝は戦略を組んだ(全く理解しなかった義経)。鎌倉幕府成立の1180年説。後鳥羽上皇は源実朝を懐柔しようとしたが暗殺されて討幕を考える(承久の乱へ)。鎌倉時代後期の天皇は名君ぞろいで徳へと進む。外交オンチが招いた蒙古襲来(攻める気のなかったフビライ)。得宗専制で自滅した鎌倉幕府。名字に『の』が入らなくなった理由」・・・・・・。

「室町時代――鎌倉幕府を倒したのは後醍醐天皇ではない。南北朝はなぜ50年余りも続いたのか。細川頼之がつくった足利義満1392年体制。応仁の乱は尊氏派と直義派の最終決戦だった」・・・・・・。

「戦国時代――エリート大名が戦国大名に進化できなかった理由。秀吉はなぜ家康を潰さなかったのか」・・・・・・。「江戸時代――江戸幕府の名君と暗君は誰か」・・・・・・。古代から近世まで時代の流れがよくわかる。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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