narero.jpgきわめて率直で大胆で面白く、世界が広がる。帯に「『LG BT』に分類して整理したら、終わりじゃない。人間の複雑さと繊細さの入り口に立ち、『クィア』を考える。これがスタート地点にして決定版!」「性、恋愛、結婚、家族、子孫、幸福、身体、未来壮大な『その他』たちが、すべての『普通』を問い直す」とある。LGBTQの当事者である二人が、全くその通り語り尽くしている。「差別」の繊細さについても、「普通」を押し付け、「多様性」を上から目線で論ずることの違和感と嫌悪感が率直かつ緻密に語られる。これまで小説も含めて様々な本を読んだり、直接話を聞いてきたが、本書は特にパワフルで圧倒され、世界がクリアになる。

「私たち『その他』は壮大なんですけど? ――LGBTQ+、分類して整理したあとの、その先の話(クィアは強烈な侮蔑語から始まった)(あなたはLG BTですか?は老若男女ですかと?と同じ) (名前をつけられない人たち) (壮大なその他)」「基準を疑え、規範を疑え――性、性別、恋愛ってなんだろう?(男と女っていうニ通りじゃない)(『早い段階で決まる』は違う)(恋愛至上主義規範)」「いい加減、そろそろ慣れてくれないかな――マイノリティとマジョリティのあいだ(『マイノリティだから素晴らしい』がやばい)(ゲイと言えばオネエみたいなステレオタイプがセクシュアル・マイノリティ一般に拡張されてしまった) (弱者を救うと言う政治家を弱者はなぜ支持しないか)」が13章。

「制度を疑い、乗りこなせ――結婚をおちょくり、家族像を書き換える(侮蔑語を逆手に取る) (なんで友達同士で結婚しちゃいけないの?)」「そんな未来はいらないし、私の不幸は私が決める――流動する身体、異性愛的ではない未来(『見える差異』に依存していいのか) (『ありのまま』がとにかく嫌だ)(身体は変わるし変えられる)」「『出過ぎた真似』と『踏み外し』が世界を広げる――『みんな』なんて疑ってやる(聞いたこともない性的指向の人に会ってみたい)(ずるい、図々しい、厚顔無恥!)」が46章。

「男性でも女性でもない性別の人間であるという自認をもって生きる方はいっぱいいる。Xジェンダーを自称してる人はけっこう多い」「男か女か、そのあいだかという一直線の基準自体を疑っていいと思う。『男度20%、女度80%』みたいな2つの基準で計れるのではなく、直線上ではない、平面上、あるいは立面上のグラデーションとも言ったらいいのかな」「そもそもゲイの場合、カミングアウトしなければ、トランスの人みたいには困らないという点で、就職とか仕事に関して不利な点が少ない」「私は寛容だから受け入れるというのはものすごく上から目線。『理解する』『受け入れる』ではなく、『もう慣れてくれ』ということ」・・・・・・

「クィアを使うための三本柱」が示される。「みんな一緒ではなく、いろんな人の違いを違いとして保持したまま一緒にやっていく」「アイデンティティをプロセスとして捉える」「喧嘩を売るとか、逆手に取るぞという好戦性」の3つだ。また「『体が男()だけど、心は女()』という言い方が広まったのはよくない。そんな単純に分けていいのか疑問がある。そういうバキッとした言い方があると、結構当事者も乗ってしまう。男か女かなんて個人個人でグラデーションであるはずなんだけど」・・・・・・

まさに性と身体をめぐるクィアな対談。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ