「いい大学を出れば幸せか」「学歴があれば『勝ち組』なのか」――。当然、答えはノーだ。しかし日本社会では、学歴が一定の人物評価につながる事は間違いない事実だ。人と会う時にまず名刺交換から始まるということは、肩書がものをいい、どこの企業・団体に所属するかが日本社会の人物評価に関わることを物語っている。有名大学や有名スポーツ選手になるには「セルフコントロールができる」ことがあろう。人生にはそこが大事だと私は思う。そして、知的能力とともに、応用問題だらけの社会に対応できるには、知識ではない「知恵の力とコミニケーション能力」が欠かせない。往々にして懸命に受験勉強だけをしてきた"秀才"は、挫折に弱く、コミニケーション能力に欠けがちだ。プライドが高すぎる人、勝他の念が強すぎる人も結構いる。それが社会生活には邪魔となる。「高学歴難民」が多いようだが、そうした弱点が、思い描いたルートから外れたときにさらけ出される。「こんなはずではなかった」と悲惨な実態になる。特に、高学歴であるが故に、企業の側では扱いわづらい。コミュニケーション能力がなければ孤立する。しかもプライドが高いことが邪魔をする。悪循環が高学歴難民を生み出していく。この深刻な実態を、東北大学大学院在学中、日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を立ち上げ活動してきた阿部恭子さんが、そのなかで浮き彫りにされてきた「高学歴難民」の悲惨な実態、しかも隠されてきた実態を描く。
ポスドク問題は深刻だが、それがさらに高学歴者全体に広がり、歪んでいる。博士課程を終了しながら、非常勤の掛け持ちをしても、月10万円の困窮生活。追い詰められて、なんと振り込め詐欺や万引きに手を染める者。セックスワークで稼ぐ女性高学歴者。法科大学院へ進んで逆転を図ろうとしたが、司法試験には受からず、実家や妻の「ヒモ」状態の人。学歴至上主義の両親に育てられ有名大学に入ったが、人間関係が下手すぎてアルバイトもクビになる者・・・・・・。
「犯罪者になった高学歴難民」「博士課程難民」「法曹難民」「海外留学帰国難民」「難民生活を支える『家族の告白』」「高学歴難民が孤立する構造」が描かれる。高いプライドが足かせになる。理想と現実のギャップに苦しみ現実を受け入れられない。
「高学歴難民同士が悩みや情報を共有し、難民生活を共に支え合うコミュニティーが必要だと考える」と言う。