busyouden nishi.jpg西日本24府県で、それぞれ一人の武将を取り上げた掌編小説。勝つか負けるかの戦国時代の苦難、情愛、決断の瞬間が描かれる感動作品。

「毛利元就の15本の矢」(広島県)――「3本の矢」の話はどうして生まれたか。次女の五龍の仕掛けた15本の矢。「尼子経久の謀聖の贄(にえ)(島根県)――梅津主殿助を罠にはめた経久の策の全貌。「大内義興の帰らせろ」(山口県)――応仁の乱後の京都。将軍足利義尹も朝廷も大内義興を頼りにして国へ帰さない。そこで、妻が仕掛けた策とは

「松永久秀、九兵衛の再縁」(奈良県)――松永久兵衛久秀は47歳にして、美人の25歳の保子と再縁。「もうご自身を許してあげて下さい」と、保子はよく物事がわかった鋭敏な賢い女性であった。良い話。「龍造寺家兼の老躯、翔ける」(佐賀県)――「儂は命を最後まで燃やす。皆の者、続け」と93歳。「宇喜多直家、宇喜多の双弾」(岡山県)――直家の命を受け、遠藤又次郎・喜三郎の兄弟愛が成した日本初の鉄砲での暗殺。「石田三成の4杯目の茶」(滋賀県)――4杯目を所望された三成は。「別次道雪、雷神の皮」(大分県)――雷神と呼ばれた別次道雪は動かぬ足をいざという時のために馬に乗る訓練をしていた。「雷神が目覚めた」。武田信玄が死ぬまでに一度お会いしたいと言っていた武勇が知れ渡っていた武将だった。「北畠具教、何のための太刀」(三重県)。「黒田官兵衛、未完なり」(兵庫県)――関ヶ原時における官兵衛の決断。敵わぬ竹中半兵衛の完璧な戦さ。「大抵のものは完璧など求めてもできぬ。それでも前に進むしかないのだ」と噛んで含めるようによく語っていたという。

「亀井茲矩、夢はあれども」(鳥取県)――「山中鹿之介は尼子再興が夢なのではない。尼子再興を掲げている己が好きでたまらぬのだ」「どこが欲しい(秀吉)・・・・・・琉球国を」

「伊東祐兵の泥水も美味し」(宮崎県)――秀吉が「伊東ほどの名家の者が、ここまでするか」と言い、「名家なればこそです」。「有馬晴信、海と空の戦士」(長崎県)――有馬と龍造寺の戦いに、アフリカのカフル人たちが参加した。「加藤清正、小賢しい小姓たちよ」(熊本県)――茶碗を割った小姓たちの結束にありし日の自分を見た。「雑賀孫一、孫一と蛍」(和歌山県)――蛍という女鉄砲撃ち。「足利義昭、旅人の家」(京都府)――「足利家は、とっくに天下の旅人よ」と言い放つ義昭の意地。「豊臣秀吉、土を知る天下人」(大阪府)――故郷・尾張国中村から来た半次郎の掘った牛蒡。「十河存保の三好の舳(みよし)(香川県)――「お主は三好の舳か」と長曽我部元親は真顔で言う。舳先のことを舳ともいう。

「長曽我部元親、土佐の土産」(高知県)――秀吉への土産になんと鯨一頭。饅頭一つを押しいただいた元親に、秀吉は「互いに苦労するな」と言う。なかなかの一場面だ。「加藤嘉明、証を残す日々」(愛媛県)――賤ヶ岳の7本槍の加藤嘉明が築いた松山城。「島津義弘、怪しく陽気な者たちと」(鹿児島県)――関ヶ原山中からの案内人・井戸又右衛門。「謝名利山、3坪の浜の約束」(沖縄県)――利山と城間盛久の命をかけた絆。すごい話だ。「蜂須賀家政、古狸と孫」(徳島県)――古狸と若狸の化かし合いと愛情と信頼。これまた良い話。「立花宗茂、立花の家風」(福岡県)――無骨な堅苦しい家風でもあり、当主たる者は些事に心を奪われることなく、悠々と読書にふけっていれば良い、これこそが立花家の家風というものである。

いずれも良い話が続いている。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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