戦災復興事業と東京オリンピックは、東京の都市計画としては重要な大きなチャンスであったが、中途半端なものとなった。木造密集市街地はその最たるものだ。世界の都市間競争の中で、東京が持つ魅力とメリットは、効率的で正確で安全な鉄道網、きれいな空気と水とシャワートイレ、夜でも治安の良い繁華街、価格比では世界一の一般飲食店の質と多様性、下町の文化・職人技術・伝統・・・・・・。その一方で密集市街地や国際空港の規模・機能の見劣り・立ち遅れがあるという。
東京の都市計画がどう作られ、どうなって今日に至ったか。本書は、歴史と今を圧倒的な資料を基に提示する。自ら撮った写真や貴重な資料まである。驚異的だ。
そして今、2020年の東京オリンピック・パラリンピック招致が決まった。首都直下地震をはじめとする自然災害の脅威も迫っている。東京の都市政策に何が必要か。「首都直下地震への備え」「少子高齢化を踏まえたまちづくり」「公共施設の長期維持計画」「羽田空港の拡充強化」「都市観光・文化力の強化」「都市景観の回復」「人に優しく安全な公共交通」「都市の緑化」「オリンピック開催準備」「首都大学東京の都心下町への移転」「有楽町都有地に都庁防災庁舎を」などを示す。
「水は低きに流れる」――。当たり前だが、それゆえに東京は水害には古来より地形的にも脆弱だ。加えて地下水汲み上げ等によってゼロメートル地帯が広がり、かつ多数の地下鉄・地下街がはりめぐらされている。さらに気象変動によって今世紀末には世界平均海面水位は最大82cm上昇(IPCC)、豪雨、スーパータイフーンが予想され、首都直下地震の切迫がある。
問題は河川堤防の決壊による「外水氾濫、大河川氾濫洪水」、台風とともに海の水が襲ってくる「高潮洪水」、降った雨が排水できずに溜まり続ける「内水氾濫」、そして地震によって水門・堤防が破壊される「地震洪水」の4つだ。
家康の利根川の東遷、荒川の西遷に始まり、東京の三大水害という明治43年の「東京大水害」、大正6年の「大海嘯」、昭和22年の「カスリーン台風」に対して、どう対処をしてきたのか。荒川放水路、江戸川放水路から命山としてのスーパー堤防等を詳述する。そして「東京の場合は、大潮の満潮時にゼロメートル地帯の堤防のどこか1か所を破壊するだけで、首都が水没し、地下鉄、共同溝、電力通信の地下連絡網のあらゆる機能が失われる。日本沈没だ」「ゼロメートル地帯の治水対策とは"洪水対策"であり、住民にとって逃げられる"命山"であり、そして日本にとっての"安全保障"なのだ」という。東京都の土木専門家として実際に治水をはじめとして防災を担い続けた現場からの専門家の意義ある書だ。
山本兼一さんの「とびきり屋見立て怗」のシリーズ第4弾。「ええもんひとつ」など幕末の京都の町の空気を見事に表現していたが、遺作ともなったこの「利休の茶杓」もとても良い。
真之介とゆずが三条木屋町に開いた道具屋の「とびきり屋」。薩摩・会津両藩が、宮中クーデターを起こし、尊攘派を排撃した1863年(文久3年)の8月18日の政変、三条実美らの7卿落(それが一年後の禁門の変、蛤御門の変へと連なる)。そんな騒がしい京都の町で、桂小五郎や芹沢鴨、近藤勇らとも日常的に接する庶民のたくましさ、暖かさ、人情、夫婦の愛、日常の幸せ感・・・・・・。
「利休にたずねよ」をはじめとして、いい作品を書かれた山本兼一さん。今年2月、逝去された。
面白いという以上に、凄みのある本だ。それは維新という未曾有の激動の現実自体が凄まじいものであったということだ。歴史はともすると濁液の上ずみ液を描写するが、その裂け目下の現場には「異形の人間」「異常な興奮状態が生み出した理屈を超えた欲望、冷酷非道の生身の人間の性(さが)が露出する。それを幕末、明治初期の異形の維新史として、しかも文献、史実をガッチリ踏まえて重厚に描き出している。現実の生々しさ、人間の破天荒を突きつけられ、圧倒される。
開国の方針を決め条約の勅許を得ようとする幕府、それに対して攘夷を掲げた孝明天皇下の公卿の欲と権力闘争、狼狽ぶりのなかで生じた悲劇を描く「薔薇の武士」、戊辰戦争の官軍に先遣隊として使われたヤクザの暴走と彼らに襲われた名家夫人を描く「軍師の奥方」、岩倉使節団の実態とその船上で行われた「船中裁判」、明治初頭の神仏混淆の社寺から仏教色を払拭しようとした突拍子もない廃仏毀釈の狂騒を描いた「木像流血」、毒婦・高橋お伝の解剖と風評を描く「名器伝説」など7編。いずれもその現実と現場が鮮やかに迫ってくる。