都築 政昭 黒澤.jpg「黒澤明 全作品と全生涯(2010年 東京書籍)」など、黒澤明の実像を紹介してきた都築政昭さんが、その人間像と「黒澤映画」の真髄を語っている。改めて、その凄さに感心する。

私自身、「姿三四郎」に始まり、「素晴らしき日曜日」「羅生門」「生きる」「七人の侍」「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「赤ひげ」「影武者」「乱」など、生涯で30本作った映画のかなりを見てきたことに驚いた。「黒澤は『映画という美しくて素晴らしいもの』の奴隷なのである」「生きる勇気と元気を与える映画を!」「人間は仲良く善意をもって」「人間は自然の一部」「闘う――男たちの世界」「笑わせ、泣かせ、怒らせて」「人間の尊厳、そこにある確固とした人生肯定」「愛とヒューマニズムの体現」「トルストイとドストエフスキーとバルザック」「テーマが骨太で、話がおもしろくて、映像がダイナミックで、俳優が持ち味を出しきって」「イプセンのように最初に盤石な布石をする」「演技に助太刀はせず、自分で絞り出せ」「名うての完璧主義者」「悪い、いいの見極めがつかないでどうして監督がやれるか(ニセモノとホンモノの区別)」・・・・・・。

映画を芸術の高みに押しあげた黒澤明の人と作品が躍動的に語られる。


ツバキ文具店.jpg温かく優しい物語だ。鎌倉市のとある小学校の近くにあるツバキ文具店。先代(祖母)が亡くなって、反抗的で海外に逃げていた雨宮鳩子(ポッポちゃん)が帰って代書屋を継ぐ。

隣りに住むバーバラ婦人、男爵、パンティー、マダムカルピス、守景とその子陽菜(QP)など、登場人物はいずれも幸せそうだ。代書屋に持ち込まれる仕事は「お悔み状」「恋文」「離婚報告の手紙」「かつての恋人に元気であることを伝えるだけの普通の手紙」「借金を断る手紙」「汚文字の人の代筆」「天国からの妻への手紙」「先代が文通相手で本心を吐露している手紙」「QPちゃんの鏡文字」「絶縁状」・・・・・・。

夏、秋、冬、春と経験を経て、鳩子はわだかまりを乗り越えて「亡き祖母(先代)への長い手紙」を書く。感動作。人生を丁寧に生きていく、幸せを見つけて生きていくことが心に浸み入るようだ。


人間教育のために.jpg教育基本法の第1条には、「教育は、人格の完成を目指し・・・」とある。「人間教育」に全てを注いできた梶田先生の教育哲学と実践が集約された書だ。副題には「人間としての成長・成熟を目指して」とある。「教育の深さが日本の未来を決定する」と、教育基本法改正案の衆院本会議に立った私は発言したが、その中核が本書で述べられている。感銘する。

「『人間としての尊厳』を具体化していく教育を――『我の世界』を生きる力を育てる」というプロローグから始まる。生きる力には「我々の世界」を生きる力と「我の世界」を生きる力の2つの面があると、梶田先生の世界が開示される。そして「有能な『駒』でなく賢明な『指し手』に」「『内的な促し』のために――本源的自己の錬成と意識世界での動機づけ」「『やる気』の育成を考える」「自己統制における現実適応性と価値志向性――主体形成のために」が示される。哲学不在の時代における「我々の世界」「我の世界」をどう生きるかという生きる力の人間教育の本源に実践面を含めて迫っている。

「『こころ』の教育を考える」「道徳教育の新たな充実・発展のために」「自己を語ることとアイデンティティと」で左右からの浅薄な批判を砕き、人間形成の中道を示すとともに、教育実践における「開・示・悟・入の教育思想」を提示する。教育界のなかでの実践研究を語っているが、その奥行きの深さに感じ入る。

「学校教育」の具体的実践を踏まえての「人間教育」、そして現代社会のなかでの「生涯教育」のあり方をいかに模索してきたか――その崇高な「人間教育」の哲学と実践が滲み出ている。私との対談も紹介されている。


吉田茂 独立心なくして国家なし.jpg「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」で、北康利さんは、吉田茂がいかに「独立国家の完成」に強い信念をもっていたかを示した。本書はその後、サンフランシスコ講和条約後を描いている。

「ポピュリズムに背を向けた男(吉田茂)とポピュリズムを上手に利用した男(鳩山一郎)。好対照の二人ではあるが、共通するのは強い信念をもっていたことである。・・・・・・ともに『独立国の完成』を目指すというものだった」「吉田茂という政治家にとって、国民は自分たちが指導して幸せにするべき対象であり、世論の動向に従って政治を進めていくなどということを、彼は微塵も考えていなかった」「岸信介の最大の政治目標は、吉田が果たせなかった対等な日米関係の構築と自主外交路線の確立にあった。まさにそれは吉田の思い描いた『独立国の完成』そのものである」――。

吉田茂、鳩山一郎、三木武吉、石橋湛山、重光葵、大野伴睦、松野鶴平、広川弘禅、緒方竹虎、岸信介、河野一郎、佐藤栄作、池田勇人・・・・・・。苦難の日本、激しい政局のなかで闘う政治家の姿が活写される。


伊達の企て.jpg伊達政宗――。永禄十年(1567)8月、出羽の米沢城で生まれ、寛永13年(1636)5月、70歳で亡くなった。「政宗は死に至るまで天下を夢見ての往生であった」「政宗の五度目(の挑戦)もあと一歩届かなかった」「儂は天下を狙っておる」「豊臣を討つ戦いになるか。家康を討つ戦いになるか。四度目は明確にしたいものじゃ。(大坂冬の陣の参陣)」・・・・・・。

しかし、世に出る時が遅かった。「20年、いやあと数年早く生まれておれば、太閤に頭を下げることもなかったがのう。思い出すと腸(はらわた)が煮え繰り返る」。天正13年(1585)に秀吉は天下を掌握するための領地拡大阻止・私戦禁止の惣無事令を出した。奥州の大半を手にしながらも天正18年(1590)の小田原での死装束を纏っての秀吉下での屈辱に始まり、常に秀吉に押さえられ、その死後は家康に抗いながらも下らざるを得ず、大坂冬の陣、夏の陣に至る。その怒り、苦衷、天下取りの野望が描かれるが、終章「新たな企て」において、腹臣片倉景綱の死、家康の死、乱世の終止符への志、北上川改修、新田開発、そして家光の後見役の姿が、短く描かれる。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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