カフェ「クロシェット」の女性店長の原田清瀬は、客として来て知り合った松木圭太と恋人になる。しかし、松木は素直でまっとうで良い人物だが、自分のことについては全く話をせず、違和感が付きまとった。ある日、その松木が歩道橋から転げ落ちて意識不明と警察から連絡がある。親友と喧嘩をして共に転げ落ちたというのだ。親友の名は岩井樹(いつき)。不機嫌になって声を荒らげることもない松木が、なぜ親友と大喧嘩となったのか。なぜ親が駆けつけてこないのか。「いっちゃん」とはどんな関係なのか。松木の部屋に行くと、文字の練習をしている様子だが、これは誰に教えているのか。次々に疑問が噴き上がってくる。
いろいろわかってくる。「小学校低学年の頃、いじめにあっていた松木がいっちゃんにいつも助けられたこと」「いっちゃんは極端に字が書けないが、ディスデクシア(発達性読み書き障害)であること」「親からも周りからも、いっちゃんはアホと言われるが、それは障害を全く理解していないからであること」「松木は母親から『あんたは将来ぜったいとんでもないことをしでかす』と乱暴者扱いをされてきたが、愚弄され続けるいっちゃんを助けるためだったこと」「カフェの従業員・品川さんは、だめな人ではなく、ADHDであったこと」・・・・・・。そして「いっちゃんが好きになった菅井天音に手紙を書こうとし、松木がその手伝いをしていたこと」「天音が乱暴者の小滝という男と同棲し、今逃げているということ」などがわかってくる。
人の本当の姿はわからない。近くで接していても、本当の心はわからない。障害もわからない。善意であっても、助けてもらう行為に、された方が苛立っていることもわからない。
周りを振り回し続ける菅井天音。「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない」――。天音の心に流れる暗くて深い川。傷ついた人々が、他者に救われ、再生する物語に、幾度も涙を流してきた清瀬だが、「手を差し伸べられた人は、すべからく感謝し、他人の支援を、配慮を、素直に受け入れるべきだと決めつけていたが」・・・・・・。そうではないことを思い知るのだ。人の表面を見ても、内面はわからないし、内面の事は絶対知られたくないと思っている人が多くいる。まして、"善意"などで助けてもらいたくない。短いが重い小説。「あなたの明日がよい日でありますように」と素直に思えることが、最終メッセージと感じる。