DSC_0054花火.JPG太田あきひろです。

50年ぶりに北区荒川土手で、花火が夜空を飾りました。昨日15日、朝から雨模様で心配されましたが、「第13回荒川土手秋まつり」「北区秋のフェスティバル2011」が、赤羽近くの荒川土手で同時開催。東京青年会議所の若い力と地域の方々の熱意で、迫力ある「夢花火」の打上げとなりました。多彩な催し、鉄人シェフNO.1決定戦なども行われ、にぎわいをみせました。多くの方々のご尽力に感謝です。感動!


20111014-book.png  1850年以降の歴史を俯瞰している。しかも世界と日本、そして経済と文化と官僚という視点が常にある。「東日本大震災は"戦後日本"の"終わり"を告げ る大災害である。・・・・・・まさしく戦後日本の敗戦だ」という。たんなる敗戦ではない。明治維新の時も、あの昭和の戦争の時も、20年にわたる「下り 坂」、低落と言う足掻きと苦闘の果てのもの。今度も20年にわたる下り坂の末の大震災、つまり「戦後日本の終わり」を告げる第三の敗戦だと指摘する。

  大事なのは歴史を顧みると「古い日本」を戻そうとしてはならないということ。今度も「古い日本」、官僚主導・業界協調体制で規格大量生産型の工業社会を実 現した「戦後日本」を再建しないこと。武士の文化を捨て、身分制度を廃止し、徳川「安定」の正義概念を明治「進歩」の概念に変えた明治維新のように、陸海 軍を廃止し、内務省を解体して帝国主義の政策を捨てた「忠勇と勤勉」から「安全と平等と効率」に変えた昭和の戦争・戦後のように。今、それを変える時だ。 弱い政治と頑強な官僚機構を変え、「省資源」「多様なコミュニティ」「好き好き開国の知価社会」「好老文化」の新しい日本の幕を開けという。


大人の流儀.jpg この本は読んで楽しい。伊集院さんが、涙も喜びもやさしさもいっぱいため込んで、自分の気持ちのまま生きているからだろう。粋で他者にやさしい。言葉はビシッと厳しい。たとえば新成人の若者への「大人の仲間入りをする君たちへ」で8つ言っている。兄貴が愛情こめて言っているようでいい。「妻と死別した日のこと」が出てくる。生老病死の極みでとったとっさの行動、そして「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」と結んでいる



太田あきひろです。
大変、素晴らしくて感動しました。昨日8日より、王子駅近くの「北とぴあ」において、石井美千子人形展「昭和のこどもたち」が開催されています。これは北区リサイクラー活動機構がNPO法人設立10周年記念事業として主催したもので、昨日がオープニング、出席しました。(16日まで開催)
 
昭和の20年、30年代の日本――。「何もなかったが、何かがあった」時代でもあり、貧しさのなかにも飢えを知らず開放的で、自然豊かな大人たちのおおらかな愛に育まれた生活。それが大きなスケールで、紙芝居の光景、嫁ぐ日の風景などが描かれています。子どもの頃を思い出し、東日本大震災などの国難のなか、大事な「何か」を考えさせてくれるものでした。
  昭和のこどもたち公式HP


無縁社会.jpg 「"無縁死"3万2千人の衝撃」を追ったNHKスペシャルをはじめとした取材の集大成。

 深刻な現実が水面下で進行している。社会が変質している。他人に興味を持たない社会。血縁が希薄化し、家族・親族という社会の最小単位、絆が崩れる。地域のつながりも喪失し、孤独と不安が深くしのび寄る社会。

 「無 縁死=行旅死亡人」「広がる直葬」「急増する遺体の"引き取り拒否"」「単身化の時代」「都会に移る高齢者」「共同墓」――それらは借金の連帯保証人、離 婚、病気、生涯未婚、雇用の悪化など多くのきっかけがあるし、誰にでもあることだ。もっというと「誰にも迷惑をかけたくない」という日本人の心がある。

 「つながりをつくろう」「迷惑なんかじゃない」「頼って頼られて、それでいいじゃないか」と行動を起こすなかで、「他人に興味を持たない社会」を「人、そして、"いのち"を思いやれる社会」に変えようと取材班は呼びかけている。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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