「炎立つ」「火怨」「天を衝く」の高橋克彦の「完四郎広目手控シリーズ」の「不惑剣」。ホラー、ミステリー、時代小説など高橋作品は幅広いが、今回のは明治初期の広目(今でいえば広報・広告・メディア)の世界に身を置く完四郎たちから描いた小説。
明治維新後の変革期、不安定な時代。新政府に抵抗し、死に場所を求める元士族――。熊本で決起する神風達を止めようとした完四郎は逆に心をひかれ、己を省みる。
「こういう美しき者たちを・・・・・新政府はなぜに死に追いやる」
「こういう者たちが喜んで生きて行かれる国こそ本当の新しき国ではないのか」
「おれよりも偉い。・・・・・・惑わぬ心で剣を持つのは・・・・・・」
「戦が何を生む。・・・・・・大久保はまだ足りぬというのか! 西郷は不足だと言うのか! この国の大義はどこにある!」
――掴み所のない国に向けての怒り、そして底の抜け崩落感のなかにある自分自身の生に対して、「おれは・・・・・・どうすればいい」やり場のない時代が描かれている。しかし戦いはまだ続き、明治は走り出している。そんな時代のはらむ苦悩がにじみ出ている。
この"一億総うつ病化社会"。
「上司に怒られる。怒られてばかり」「トラブルが続く。心に余裕がなくなる。心が限界になるほど疲れる」――そんな時どうする。「抑うつ状態は強い悲しみや不安、失望感のため、すべてに興味がなくなり、無気力になる精神状態」だが、さてどうする。
人には思考のクセがある。考え方を変える、思考グセを変えない限り、いくら薬を飲んでも治らない。ニーチェは「この世に絶対的な真実などはない、あるのは解釈だ」といっている。その通り、事象をどう解釈するかだ。
意外とわからない自分のこと――それを整理してみたらどうか。
精神科医の田中さんは心に溜まったストレスと上手に付き合う方法を示す。治ってもそれは「治癒」ではなく、「寛解」(病気の症状がほとんどなくなったが、完全に治癒したわけではない状態)。再発・長期化させないよう発想を変えることだ。
早めに対応。しかし焦りは禁物。田中さんは「心のストレス超整理術」を具体的に示してくれる。
太田あきひろです。
東日本大震災から1年――。あらためて、犠牲になられた方々に、深い哀悼の誠を捧げるとともに、現在も大変な困難の中で暮らしておられる被災者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
私は10日、11日と、福島県郡山市、仙台市、石巻市を訪れ、佐藤雄平福島県知事、亀山紘石巻市長をはじめとする多くの方々と会い、この一年の苦闘、現在直面している主要課題について状況を聞きました。
また、郡山の除染現場、石巻のがれきが山積みされた現場、「がんばろう!石巻」の看板前での懇談などを行いました。会う人は、ほとんどの方が1年前のことを思い出して声を詰まらせ、涙する――そうした姿にふれ、復興への決意を更に固めました。
頑張ります。
太田あきひろです
春とはいえ、今年は寒い日が続きます。
二つの大きな節目にさしかかりました。
一つは国会――。
24年度予算案が昨日、衆院を通過しました。公明党は予算案には反対。税収を上回る国債発行が3年も続いていること。3党合意で昨年来、協議を進めてきている農家戸別所得補償などの課題について、結論も出さないで勝手に予算に入れていることも多々あること、基礎年金の国庫負担の財源を交付公債という粉飾的手法を用いていること、マニフェスト以来のバラマキの項目が清算されていないこと、景気・経済の回復や円高・デフレ対策の戦略がないこと等々の理由です。
関連法案は従来から中身を見て是々非々の姿勢。税制など評価できるものは賛成。労働者派遣に関する法案、福島の復興に関する特別措置法案など、我々が修正協議を主導したものには当然賛成する――そうした立場です。
公明党のブレない姿勢が示された衆院の予算審議でした。
もう一つは東日本大震災から一年――。
「被災地に復興の春を」――私は10日、11日、郡山、仙台、石巻と現地に行きます。
被災地の現状――。福島と宮城と岩手はそれぞれ違いはありますが、「遅い、にぶい、心がない」という政府民主党の震災対応が今日まで復興を遅らせてきました。被災地の風景はガレキが横に片づけられただけで、その「震災ガレキ」は積み上げられたまま。原発事故、除染、賠償、そして産業再生と雇用、風評被害・・・。とくに雇用(仕事)、医療・介護の急増と人手不足などは深刻。
前に進まずイライラが現場には募り、打開する手立てであった復興庁も縦割りの弊害を除去できていないし、このほどの復興交付金の第一次配分も宮城県知事の怒りを買うなど、政府民主党の対応は全くダメ、心が通っていません。
私は現場に、被災者にどこまでも寄り添い頑張ります。