難解きわまりないハイデガーの「存在と時間」。学生時代から解説書等に触れてきたが難しかった。「被投」「企投」「現存在(ダーザイン)」「世界内存在」「本来性・非本来性」「世人」「空談」「未了」「先駆的了解」「時間性」「時間内存在」・・・・・・。難解で独特の言葉の意味を、「文学部唯野教授・最終講義」として比喩も交えて語ってくれる。うれしくなるほどだ。
「現存在とは人間のこと。死ぬ存在」「現存とは自分が死ぬと知っているから自分を気遣い、次に道具を気遣う」「実存とは、自分の可能性を見つめて生きる存在のしかた」「非本来性とは、できるだけ死から目をそむけるようにする生き方」「共現存在の非本来的な人たちを世人と言う。死を忘れさせてくれる存在」「死を忘れるための空談」「不安が人間を本来的な場所へ戻す」「不安のもとは自分が死ぬということ」「先駆的了解と先駆的決意性」「人間の存在している意味というのは時間性である」「現存在というのは世界内存在であると同時に、時間内存在である」・・・・・・。そして大澤真幸氏が補足として素晴らしい解説を加えている。「存在の意味は時間である」というテーマを、「新約聖書」「イエス・キリスト、終末」「死への切迫した覚悟こそが、人の倫理性の強度を極大化する」等々、難題を包み込むように剔抉する。
「それは私が京都に暮らしていた学生時代、たまたま岡崎近くの古書店で見つけた一冊の小説であった。1982年の出版、作者は佐山尚一という人物だった。『千一夜物語』が謎の本であるとすれば、『熱帯』もまた謎の本なのである」――。この佐山が著した『熱帯』は、「汝のかかわりなきことを語るなかれ しからずんば汝は好まざることを聞くならん」という謎めいた文章で始まるが、不思議なことに読む途中で消えてしまい「この本を最後まで読んだ人間はいない」のだ。その謎の解明に勤しみ巻き込まれていく読書会(「学団」)の池内氏、中津川さん、新城、千夜さん(海野千夜)。そして白石さん。当時、千夜と同じ学生であった佐山は「魔術にまつわる物語、南の島をめぐる不思議な冒険譚を書く」といい、失踪していた。そして、『熱帯』という小説を読み始めた者たちは、いつしか『熱帯』という世界そのものを生き始め、物語の主人公になっていくのだ。
「想像の世界、『熱帯』の世界」が広がっていき、「不可視の群島」での不思議な物語が展開される。「何もないということは何でもあるということなのだ。魔術はそこから始まる」「この海にある森羅万象はすべて贋物なんだ」「『おまえは帰るべきところを忘れ、それを忘れたことさえ忘れている』と魔王は言った。『その失われた思い出こそが魔術の鍵だったというのに――』」「どこに魔女がいるというんだ・・・・・・見ようとしなければ見えないのよ」「<創造の魔術>とは思い出すことだ」・・・・・・。
自在に時空を飛ぶ展開。「千一夜物語」は夢、神話、創造、起源、そして「シンドバッド」「アラジン」などをも17世紀以降に紛れこませた信じられない肺活量の物語だが、この森見登美彦「熱帯」は、その世界と随伴して時空を疾走する。「何もないということは何でもあるということなのだ。魔術はそこから始まる」と言っているように、人間の内奥に込められた過去・現在と未来の想像を限りなく自在に描けるのが小説だというワクワク感が伝わってくる。
白洲次郎が表舞台に登場したのは、日本にとって敗戦後の未曾有の国家的危機の時代。GHQは"従順ならざる唯一の日本人"と報告しているが、「一見破天荒なように見える彼の行動の中に、いつもすっきりと一本、際立った"筋"(白洲次郎のいうプリンシプル)が通っていた」「プリンシプルを持って生きていれば人生に迷うことは無い<プリンシプルに沿って突き進んでいけばいいからだ。そこには後悔もないだろう>という言葉どおりに彼は生きた。人生の最後の瞬間まで格好良かった」と北康利さんは描いている。自我を持ち個性豊か、画一的思考を排除し、行動も速く、情にも厚い。白洲正子は「直情一徹の士」「乱世に生き甲斐を感じるような野人」と評した。
「近衛文麿と吉田茂」「占領された屈辱」「政府とGHQの間の折衝を行う終戦連絡事務局(終連)の参与に抜擢される」「憲法改正におけるGHQとの攻防」「"今に見ていろ"と云う気持抑へ切れず」「ケーディスとの最終決着」「民政局との国家主権をかけた血みどろの争いを戦い抜いた自負」「通商産業省創設」「講和と独立」・・・・・・。激烈な戦いの日々が描かれる。
「今の政治家は交通巡査だ。目の前に来た車をさばいているだけだ。政治家も財界のお偉方も志がない」「ボクは人から、アカデミックな、プリミティブ(素朴)な正義感をふり回されるのは困るとよくいわれる。しかしボクにはそれが貴いものだと思っている。これだけは死ぬまで捨てない」「功を求めずに縁の下の力持ちをもって甘んずる、をよしとする」「あいつらはバスが走り始めてから飛び乗るのがうまいだけだ」――。白洲次郎の言葉は鮮やかで鋭い切れ味をもつ。
杉村三郎シリーズの第5作。「誰か」「名もなき毒」「ペテロの葬列」「希望荘」に次ぐもの。東京・北区で私立探偵事務所を設立した杉村が、"困った女たち"の難題を解決する。ごくありふれた日常のなかに、人を困らせ、難題を突きつける者がおり、ついには事件として暴発する。杉村三郎が淡々と丁寧に取り組んでいく。「絶対零度」「華燭」「昨日がなければ明日もない」の3話。
「絶対零度」――。久し振りの依頼人は50代後半の筥崎静子。2年前に結婚した娘・優美が自殺未遂をして入院したというが、面会も拒否され、メールも1か月以上も繋がらないという。杉村が調べると、あまりにも残酷な事実が明らかになってくる。人間の温もりが消えた「絶対零度」の復讐。
「華燭」――。同じ日に同じホテルの同フロアで華燭の典に臨む二人の花嫁が、片や直前で逃亡、片や花婿側に元カノが駆け込んで大混乱、破談となる。親の代からの確執、因果応報を思わせながら、思いもよらぬ謎が明かされていく。
「昨日がなければ明日もない」――。親兄弟・家族にも周りにも迷惑をかけ続ける今はシングルマザーの朽田美姫。16歳で長女・漣を産み、別の男性との間に6歳の長男・竜聖がいる。竜聖が事故に遭い、杉村は美姫から「子供の命がかかっている」との相談を受けるが・・・・・・。
今の社会の日常――こじれにこじれた人間関係から生ずる事件を描き切る力は見事だ。