toukyou.jpg何というか泣かせるというか、心を揺さぶるというか。昔も今も権謀術数の跋扈するなか、まっすぐに生きる心の見事さと美しさ――それに尽きるということか。「世の中にはな、俺はそのつもりじゃァなかった、とか偉そうに言い訳と理屈ばっかり吐きやがって、天に与えられた責務から逃げ出す男が嫌というほどいやがる。そういう奴らを、卑怯者と言うのだ・・・・・・まずてめえ、何を背負ってきたんだ、言ってみろ」「いいか、あの第13代上野宮の公現法親王能久てえ男はな、一度たりとも、たまたま与えられた役割から、逃げたことがねえんだよ」「行く末をうじうじ考えて半端な振る舞いをすることなどせず、全部背負って、逃げなかった!. ・・・・・・そうやって、誰かのせいを全部自分のせいにして、すべての責任を、負ったんだ!」――下谷の湯屋(銭湯)の娘・佐絵は言う。

戊辰戦争から時を経た明治15(1882)。明治政府は、維新において功績のあった者たちに報告書を出すように求めたが、無血開城に貢献したはずの師・山岡鉄舟は全くの無頓着で応じない。剣弟子の香川善治郎は、「江戸の街を戦火から守った手柄は全部、勝海舟のものになってしまう」と焦るが、鉄舟はそれで良いと取り合わない。思い詰める香川に鉄舟は、なぜ江戸が東京になり得たのか真実が知りたかったら「この町そのものである女」佐絵の話を聞くがよいと紹介状を書く。

佐絵にはなかなか会えず、剣客の榊原鍵吉、駒形の志麻、渋沢成一郎、金物屋の甚三郎、竹林坊光映、大久保一翁、越前屋佐兵衛、執事の麻生将監らを訪ねて無血開城、戊辰戦争、上野の彰義隊、その時の江戸庶民の思いなどを聞いていく。そこに浮かび上がったのは、江戸を宗教的に守護する上野寛永寺の住職・輪王寺宮(後の北白川宮)能久の存在であった。江戸庶民の心に寄り添い、精神的支えにもなったが、皇族にもかかわらずそうした心を持てたのは佐絵との出会い、江戸っ子の人々との交わりがあったのだ。

征東軍の進軍を止めるのに、天璋院篤姫と静寛院和宮が働いたことは名高いが、輪王寺宮も、「すぐに、出発しよう――江戸の民を、守るのだ」と駿府城の総督府に向かった。

「苦労知らずの無能」「明治の新政府に楯突いた罪人」などと酷評される輪王寺宮の生き様と江戸っ子の心意気が活写される。素晴らしい活力みなぎる作品。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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