kaisyatoiu.jpg「経営者の眠れぬ夜のために」が副題。「日本の『会社』が元気を失い、やれ『収益力が低い、資本効率が悪い、成長力がない、グローバルな競争力がない、新規事業が生まれない、新興企業が育たない』と批判を浴び続けているのは、ある意味で当然の帰結でもある。独自の『価値』観に裏付けられた筋金入りの志もなく、縮こまって目先の修繕と化粧に明け暮れているのが状態となれば、そうなるのはむしろ必定なのだというべきであろう」「渋沢栄一の『論語と算盤』にならって言えば、論語と算盤とを長い目で見て合一させるのが事業であって、ただ算盤を弾いてやっているのが事業ではない」「ウェーバーの、文化的発展の最後に現われる『末人たち』にとっての言葉、『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに昇りつめた』・・・・・・。経営者はウェーバーの言う『世も末の人々』の悪夢から目をさまさなければならない。その夢から覚めた先に、人間として心底から愉快な経営を、経営者がその手に取り戻すことを願って止まない」と言う。コンサルタント花盛りの今、「会社」「経営()」の本質を根底から抉り出し、覚醒を促す著作。「会社」ではないが、政治や組織の中核に関わってきた私として、組織論・リーダー論としても、ど真ん中の核心を打つものとして納得した。

バブル崩壊後の日本企業が、「会社は株主のものである」「利益率の高い儲かる事業」「成果を問われ目先のことに追われる事業」「競争力があるか、収益力があるか」等々に翻弄されてきたことは事実。しかし、「『経営者』でなければできない仕事、それは一言で言えば、『会社』の目指す『価値』、夢や志を体現する担い手となることだ」「独自の目的を目指して、それを共有できる仲間を集め、自由な発想で他にない独特な組織を作り、信念を持ってユニークな開発を仕込み、熱意を持って賛同者を募り、たとえすぐには成功にたどり着けなくても、それを事業化することに挑戦し続けてきた結果として今、その『会社』がある」「『会社』が『主観』という背骨を引き抜かれて、腑抜けになってしまうことの将来的意味は、底なしに深刻だと言わねばならない」「『主観』とは、何を『価値』とするかということであり、つまるところ、自己の責任もしくはアイデンティティーそのものでもある。自分自身(会社)の責任において、何を善いと考えるかということであり、どうしたら成功できるかではなく、どうなることを成功と考えるかという自己定義である」という。深い。

本書の凄みは、「『迷宮』の経営辞典」として、「戦略」「市場」「価値」「利益」「成長」「会社」「統治」「組織」「改革」「M&A」「開発」「人材」「コンサルタント」「信義」の14項目にわたって、その本質を抉り出していることだ。「戦略とは、戦いでの確実な勝利を導くものであるが、戦略と銘打たれた文書は多いが、背景に戦略的思考がない。希望や気合いの域を出ていないことが多い。事業においてシェアをどうして取るのか、取れる根拠はどこにあるか、具体的戦術・方策が大事だ」「威勢のいい気宇壮大さではなく、構想者としての器量、深い真実を深く見透かす眼力こそ重要。意志のないところに戦略はなく、その人間の信念に深さがなければ優れた戦略は生まれない」と言う。また、「会社が、何を提供し、何をどう変え、世の中にどう貢献し、どういう顧客を創り出し、どういう会社になるか・・・・・・そうありたいとの考えが価値観の核心であり、その価値観を形にする活動、サービスの魅力が、ステークホルダー、顧客、従業員を巻き込んで発展させていくのが事業である」――。

「自社の目指す『善い会社』とはどんな会社なのかのイメージを描くのが経営者の見識である。何が自社にとっての『成長』であるのかを判断するのが経営者自身の仕事である」「この会社は、何を成そうとしている存在なのかという自覚。それが社会的責任主体としての『社格』ある」「統治とは本来、内部からしかできないことだ。『錦の御旗』を預かる経営者は、誰よりもその『空』を体現し、さらにその渦の磁力と勢いを加えていける者でなければならない」「組織の中で、人の共感が凝集する最初の粒となり、何かが生まれる渦を創り出せる、それができる人を経営者と呼ぶ」・・・・・・。

M&Aとは買い手の戦略である(M&Aに命を吹き込むのは買い手側の仕事)」「『開発』とは会社経営の中で最も多数決や大衆討議になじまない営為であり、経営トップにのみ許された大仕事なのである」「会社にできることは、『人材』を活かすことであって、育てることではない」「(AIが劇的に変化している今)ヒトを人間ならではの仕事に活かすことで『人材』にすることができる会社だけが、将来においても会社たる資格があるということになる」「コンサルタントは使うものではない。医者に対して、医者を使うという言い方をしないのと同じことである」「利己的にではなく、社会的に考えるという約束が、『信義』なのである。『信義』とは『会社』が社会的存在であることの証しである」・・・・・・。

会社や経営者に対する本源的な問いであるとともに、現代社会の軽さ、現在資本主義の病巣を剔抉している。良い著作に出会った。

 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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