人生、もがけばもがくほど落ちていくことがある。悪縁が悪縁を呼ぶ宿命の罠だ。「いったい自分は何のために生きているのだろう」との寂寥感のなか、「人の優しさ」に吸い寄せられていく。
2020年の春、惣菜店に勤める花は、小さなネット記事で、吉川黄美子の名前を見つける。同居していた若い女性を監禁し、暴行を加えていた罪に問われていたというのだ。「あの黄美子さんが捕まった」――花は震える。今から20年も前、家出をした花は、黄美子と一緒に暮らしていたのだ。それに訳ありの女性ニ人、蘭と桃子が加わって疑似家族のように暮らしたが、まっとうに稼ぐ術を持たない花たちは、懸命に貯めた金も奪われ、しだいに非合法な金儲けに手を出してしまう。偽造カードによる引き出しだ。歪んだ共同生活は感情のもつれもあり、瓦解していく。
生きるためには金が必要。もがいてももがいても転げ落ちていく。貧困の蟻地獄に、追い詰められていく様子が辛い。「ねえヴィヴさん、なんで急にいなくなれるの、ねえ花、死にたいのはいつも貧乏人、金をもつと命が惜しくなるんだよ、でも金はどんな人間よりも長生きだ、ねえヴィヴさん、ねえ黄美子さん、黄色は金運、幸福の色、黄美子さんの名前にも黄色、そう、西に黄色、わたしたちを守ってくれる、黄色は私たちの幸せの色――そこでわたしは目が覚めて汗だくになった体を起こす。真夜中。」・・・・・・。人生のボタンをかけ間違う姿。人生の下り坂には、落ち目には落ち目の縁を拾う姿。暗きより暗きに入る姿が描かれる。しかし、頑張り抜いて普通に生きていく、戻っていく時、昇りゆく太陽とはいかないが、金と黄色ではない夕陽の光に包まれる結末にいささかほっとする。