西新宿の老舗・三日月ホテルに勤務する続力。宴会場で行われる披露宴やパーティーの招待状の作成は重要なものだが、小さなホテルのため、専属の筆耕係はおらず、登録の契約を結んでいた。そうしたなか、続力は下高井戸で書道教室を営む遠田薫を訪ねる。驚くことにこの遠田、あらゆる筆跡を自在に書き分ける凄腕だが、口も悪い、育ちも悪いが何故かまっすぐの元ヤクザ。書道教室に通う子供たちにも愛され親しまれていた。依頼者に代わって、手紙の文面を続が考え遠田が依頼者の筆跡を模写するという代筆まで手伝わされるハメになる。続は巻き込まれながらも奔放な遠田に惹かれ、文字が放つきらめきにも魅せられていく。
続には想像もできない遠田の人生。貧しい放ったらかしの少年時代から、ヤクザの道に入り、刑務所まで行く。そこで出会った書道。温かく迎えてくれた書道教室を営む養父母。東京の街で、優しく、美しく生きて行く人々――。読みながら感動する。庶民の雑草の強さと優しさだ。とても良いし、「じゃあな、また来いや」――。遠田もいいし、続もいい。
「俺は、遠田の書が好きになった。いや、遠田の書を通し、書という表現そのものに魅入られた。白と黒、直線と曲線のあわいが生み出す不思議な宇宙。・・・・・・たとえ記され、刻まれた文字は解読できず、単なる模様にしか見えなかったとしても。時を超えてなお、墨の流れは鮮やかに黒く、瑞々しくゆらめき解き放たれて、地球外生命体のまえで、再び万物について謳いはじめるだろう」・・・・・・。
確かに、墨の濃淡と文字は、森羅万象の諸法実相の姿を想起させる。庶民の素朴な幸福も。神保町のカレー「ボンディ」が出てくるが、三浦しおんさんも行っているのだろうか。