wasurerareta.jpg小幡さんは東大から自衛隊、そして今は文筆活動している。「私は自分の生きる時代が信じられなかった。・・・・・・この時、なぜか私の脳裏にはいつも日本軍将兵が居た。どうやら私には彼らが最後の日本人に見えた」「願わくは、愛すべき我ら日本民族の欠陥と向き合い、誠実なる打開を試みんことを」・・・・・・。ロシアのウクライナ侵略に対し、「自らの国は自らが守る気概」の重要性を改めて感じるが、世界価値観評価で「仮に、戦争が起こる事態になったら、自分の国のために戦いますか」との質問に、「はい」と答えた人は、2019年の調査時点で、日本は13%と際立って低く、77カ国中最下位だったという。しかも「わからない」と言う回答が38%もあり、国際比較で極めて多いことが明らかになっている。さらに、「自衛隊に入りたい」という若者が、減少しているという現況にある。「戦争」は「死」を覚悟する。日常の生活や職業とは、決定的に断絶する。本書は、「飢餓のニューギニア」「極寒のシベリア抑留」「屈辱の捕虜」を中心に、「戦記」を読み解き、「平穏な日常」から「極限の戦場」に放り込まれた兵士たちは、いかに考え、いかに死んでいったか、さらに死を免れた者の苦悩を、考察する。

「地獄の島ニューギニア」――。飢餓と悪疫、「人間、やめとうなる」、地獄に戦友も日本人もなかった。地獄は人を壊し、人が人を食い始めた。そのなかでの善意と良心、人間を勇気づけたものは、やはり人間であった。

「凍てつく大地シベリア」――。飢えと過酷な労働と骨まで凍る寒さ。転向を迫る赤化による同胞相食む分断と反動探し。思想や宗教をめぐる弾圧の熾烈さは島原の乱・ キリシタン弾圧を想起させる。日本人に内在する民族的性格の弱さ、宗教・哲学の弱さが極限状況で露呈する。

それは反面、「捕虜」となったときに歪む。戦陣訓の「生キテ虜囚ノ辱ヲ受ケズ」は強く浸透し、日本人は自決や自殺的攻撃を選んだ。「欧米では、捕虜となる事は、一般に名誉を失うこととはみなされず、敵前逃亡や命令違背とみなされるような場合を除き、最後まで敢闘したとしてむしろ厚遇されることが常であるのに対し、日本では石をもって追われたのである」と言う。日本人の大半は、捕虜となったことに後ろめたさを覚え、強い自己嫌悪に襲われた。日本人の弱点が、「従順な日本人」として露呈する。

著者は「武の精神道義を愛し、国を愛し、己を愛することは、不可分一体の一事であり、武の精神はこれらを通貫するものであるが故に、他者に対しても開かれた精神と呼べるのである。武は己を陶冶していくことを目的にするばかりでなく、自分よりも大きい、より高次の存在としての共同体に奉仕することをも目指す。それゆえに武は、個人の倫理、道徳の範疇を越え、個の輪郭を共同体に拡大発展させていく」を強調している。それはむしろ「生命哲学」であろう。このような人間が人間でなくなることを断じてなくすために「だから戦争はいけないのだ」「戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものはない」ことを、「生命哲学」として骨髄に刻むことだ。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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