吉川英治の「宮本武蔵」を始めとして数多ある武蔵像のなかでは極めて異質。60余戦して全て勝利したその戦いの部分を徹底的、迫力満点で描きあげた。壮絶な生死をかけた戦いによって技を磨き、自らを心身ともに鍛え上げ、地水火風空の「五輪書」を書くに至った高尚な剣聖・宮本武蔵ではなく、何が何でも勝ち抜なければならないと、ただただ戦い勝つ荒々しい執念そのものが剣豪・宮本武蔵であったことが噴き上げるように描かれている。荒ぶる武蔵の魂だ。
「今日まで剣に生きてきて・・・・・・兵法というほどのものではないな。ただのチャンバラにすぎん」・・・・・・。最後に、父親・新免無ニとの戦いに勝った武蔵はそう吐き捨てる。新免無ニの当理流は、左手に十手を構え、さらに槍、手裏剣、捕手の技まで含む。宮本武蔵の円明流は、左に脇差を持つ。武蔵は気を飛ばす。父子のアンビバレント的関係がジワリと描かれ面白い。
幼き頃、当理流・新免無二と京八流・吉岡憲法との壮絶な戦いを見る。描かれる武蔵の戦いは、生きるか死ぬかの壮絶な戦いの連続。有馬喜兵衛、秋山新左エ門、吉岡清十郎、その弟吉岡伝七郎、百余名にも及ぶ一乗寺下り松の吉岡一門の撫で切り。1人、2人・・・・・・99人、100人・・・・・・104人、105人と1人ずつ描かれるド迫力ときめ細かな描写。そして宍戸又兵衛。三河谷刈谷の徳川譜代・水野勝成の下にいた宮本武蔵は父に呼び出され、佐々木小次郎との決戦に至る。場所は船島。本書では、この佐々木小次郎との決戦が、「当理流と岩流の争いではなく、細川家の小倉城と岩石城の戦い」「相思相愛であった雪がなんと佐々木小次郎の妻となっており、その息子小太郎は武蔵の子であった」などの背景が語られる。佐々木小次郎に止どめを刺さなかった武蔵。長刀のつばめ返しに勝つため、それより長い木刀を削り持つ。なぜだったのか。それらの解釈にもつながる話だ。
宮本武蔵を、「戦闘」に集中することによって描いた本書は、これまでにない宮本武蔵の迫力と生き様、そして戦国時代の武人の哀愁をも見事に書き出している。