前代未聞のニ児同時誘拐事件といえば、犯人をめぐっての激しいアクションか、理詰めの知的攻防戦の展開と思うが、全く違う。子供を思う清冽な「家族愛」ともいうべき切なく温かい一途な心情に感情が揺さぶられる。涙と感動の傑作。
1991年12月、厚木で小学校6年の児童・立花敦之が誘拐される。そして翌日、横浜市山手で4歳の内藤亮誘拐事件が発生。その母・瞳は不思議なことに全く無関心。育児放棄と児童虐待の疑いがあり、身代金の要求は、実家の木島茂(海洋G会長)・塔子夫妻にされる。厚木の事件は、翌日には児童が帰り、こちらはどうも捜査を撹乱させる囮と思われた。可愛い孫を助けようと、1億の現金を犯人の指定する場所へ必死に届ける木島。しかし警察は犯人を取り逃がす。警察の失態と批判され、1億円は遺失物扱いとして戻ったものの、事件は迷宮入りとなる。そして3年、1994年12月に突然、7歳となった亮が祖父母のもとに帰ってくる。なぜか亮も祖父母の木島夫妻も、口を閉ざし全くしゃべらない。
事件の真相は――。空白の3年間に何があったのか――。誘拐事件から30年たった2021年。当時警察担当だった新聞記者の門田次郎は、事件を担当していた元刑事・中澤洋一の葬儀に出る。そこで事件を担当していた同僚刑事から、誘拐事件の被害者・内藤亮が今、如月脩という人気の写実画家となっていることを知らされる。既に時効となっているこの事件ーー。門田は再取材に入るが、中澤たち元刑事も粘り強く調べ続けていたことを知る。そしてある不遇の天才的写実画家の存在が浮かび上がる・・・・・・。
「空白の3年間に何があったのか」「祖父母のもとに帰った亮は、その後どのように過ごし、人気の写実画家となったのか」――。祖母の木島塔子は、仲良くなった刑事に「情けないけど、産みの親より育ての親っていうのは本当ね」と漏らしたという。「空白の3年」を経て帰ってきた少年は、読み書きができ、きちんと挨拶ができる子供になっていた。虫歯だらけの育児放棄にあってきた少年が、驚嘆すべき写実画家の才を身に付けて・・・・・・。単なる誘拐事件として、表面的に語られ忘れられる「虚」の世界と、写実画に象徴される「実」の世界の対比。3年間の「空」の世界と、実際の濃密な「実」の世界。門田は元刑事に言われた「何でブンヤをやってるの」と言う問いかけを、事件を探るなかで考え続けるのだ。そして現代の社会に蔓延する安易で軽薄な表層的な世界であるからこそ、奥にある「存在」「秘めたる力」「写実の如き洞察」が大事であることを浮かび上がらせる。犯罪の背後に、なんと清洌な人間ドラマがあったか――感動的な傑作。
波騒は世の常である。この世は、表層で流れ続いて行く。だが、その事象の裏には必ず人間ドラマがある。それを見ないで、どうして人生と言えようか。その深さを求めて政治家も、きっと記者(ブンヤ)も、黙々と現場にこだわり戦う。その真実と人間ドラマに触れる喜びを見出して。