東京は名所・旧跡、歴史の宝庫。作家の西村健氏が路線、バスに乗って、「文豪・もののけ巡り旅」をする。永井荷風の散歩先、「『日和下駄』を歩く」。「鬼平の『墓』と『家』を探せ」「『四谷怪談』のお岩さんは実在した!」「平将門――飛び回る生首が描いた北斗七星をぶらり」の4章からなる。新宿、板橋、台東、文京、中央、北、豊島、足立に住んだり、活動した私として、あまりにも身近。新発見も多く楽しかった。
家の近くの西巣鴨に、「お岩さんの墓」があって驚いた。そういえば、近くに「お岩通り商店会」がある。「鶴屋南北の戯曲は、実在の人物から200年後の作品で、お岩夫婦も怪談話とは大きく異なり、円満だった」「四谷左門町の於岩稲荷(四谷に2つ)、それが明治に焼失して新川に建てた於岩稲荷田宮神社。そして西巣鴨と4つある」「お岩さんは3人いた。まずは最初の貞女、2番目は嫉妬に狂って出奔した女性。家内では不審なことが続いた。第3の女性の時に、またも不審死が相次いだ。お岩の呪いの噂が再燃し、鶴屋南北が四谷怪談を書き上げた」などが紹介される。興味深い。
永井荷風の「日和下駄」――「森鴎外の屋敷跡を目指す」「牛込御徒町~上野の横とは全く違う」・・・・・・。
「鬼平犯科帳」の鬼平は実在の人物。長谷川平蔵宣以(のぶため)。父は火付盗賊改方頭や京都町奉行などを歴任にしたが、本人は風来坊の乱暴者で「本所の銕」と呼ばれた。数々の役職を経た後、天明7 (1773)年に火付盗賊改方に任ぜられる。時に42歳。「鬼平の一族、長谷川家の菩提寺は四谷の戒行寺。現在は長谷川平蔵供養碑がある」「池波正太郎は『そうしたわけで、私は彼の役宅を清水門外に移したのである』と言い、小説上の設定にした。そこには今、千代田区役所がある」「清水門前の役宅、目白台の私邸ではなく、本当の私邸は本所だった」「菊川駅A3出口の前には、墨田区教育委員会による『長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡』の説明板が立っている」・・・・・・。
平将門も神田明神を始めとしてあちこちで祀られている。「大蔵省もGHQをも震え上がらせた怨霊⁉︎」「大国主命、ヤマトタケル、将門、道真。北新宿に神々が集う」・・・・・・。
楽しいバスによる歴史探訪。