gandxi.jpg「非暴力思想とは何か」が副題。ガンディーは、186910月、グジャラート地方に生まれ、1888年、18歳の終わりにイギリスに留学。「世界の工場」イギリスであるとともに、貧富の格差や労働問題などの社会問題化の姿を見る。また菜食主義者との出会いもあった。1891年に弁護士資格を取得し、インドに帰国。2年後の1893年に南アフリカに渡る。そこで実に1914年までの21年間南アフリカに滞在。到着後すぐ人種差別を体験、これがガンディーの原点を形づくる。1906年、ブラフマチャリアの誓い、サッティヤーグラハ運動を開始する。1915年にインドに帰国、様々な運動を指導。有名な塩の行進が1930年。3次にわたる独立運動、1947年分離独立、1948年、三発の銃弾で暗殺される。

人生の転換点は1893年、一等車に乗った列車の中で、肌の色の違いを理由に貨物車へ移動命じられ、拒んだガンディーは警官に取り抑えられ、強制的に外に放り出された。これを原点にして、ガンディーの戦いが始まる。

ガンディーの「非暴力」は「無抵抗」「受動的抵抗」「臆病」「(暴力や武力など)あらゆる力を否定する方法」ではない。尊厳を守るための戦いだと言う。「本書の目的は、ガンディーの非暴力思想の意味を、サッティヤ(真実)アーグラハ(しがみつく)の思想を手がかりに探求する」と言う。サッティヤーグラフ運動者は、「仮に武器を与えられても、それらに依拠せず、むしろ相手が振るう暴力をあえて自発的に引き受けることで、自分たちが主張しようとしている『真実』の正当性を示そうとする」「正しい理由のために運動者が殴られている姿は、相手の魂、良心を揺さぶるはずである」。自らが「真実」だと思う信念に決して妥協を許さないという断固たる意志・実践だ。あたかも法華経に説かれる不軽菩薩を想起させる。

そして、もう一つ。「ブラフマチャリヤ」の実践だ。宇宙原理である「ブラフマン」に至るための「チャリヤ(行為)」で、一般的には「禁欲行」や「独身()」を意味するが、ガンディーは生命エネルギーを可能な限り浪費することなく、公益のために蓄積していくならば、社会変容を引き起こす巨大なエネルギーに拡大できると考えたのだ。このサッティヤーグラフ運動とブラフマチャリアの実践は、ガンディー自身の自らの身体をかけての「肉食を始めとする食の暴力性」「衣服に見られる植民地経済の搾取や不平等の暴力性」「人種や性の暴力性」「異教徒を許さない宗教に関わる暴力性」との妥協なき戦いへと進んでいく。西洋文明が生み出すあらゆる暴力に抗うことはもちろん、人間存在の生老病死に関わる理不尽・不平等に対しても、真実を直視し、真実と信じるものに極限まで忠実であろうとしたのが「ガンディーの非暴力思想」であると言う。加えてそれを理念のレベルで終えることなく、大衆運動へと広げたところにガンディーの凄さがある。衣服を背広から徐々にインド大衆の姿そのままに変化させていったゆえんもそこにある。マハートマーと言われるところまで突き詰めたガンディーであったが故に、家族は大変だったと思われる。

ガンディーは何をしようとしたのか。ガンディーの真実とは何か。ガンディーの非暴力思想とは何か――。鋭く剔抉した書。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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