nagare.jpg軽薄な商業主義に堕したテレビ、命をかけて撮影現場に挑む名優たち、夜を徹しても創り書き上げる倉本聰さん――。確かに「破れ星、燃えた」。「速い、安い、うまい、をセールスポイントとして書き始めた頃から、〆切りだけは破ったことがない」「みんなが夢中になり『創』の現場であったはずの現場が、いつの間にか『作』の現場に堕している。『創』は智恵により前例にないものを新しく発想し生むこと、『作』は知識と金によって前例を踏襲してつくること」「旬の間だけチヤホヤされて、ボロ屑のように捨てられて行く、何の保障もない日本のテレビ人。そういう人間をあまりにも多く見てきた。テレビを喰い物にし、稼ぎの場としてめちゃくちゃにしてしまったその場しのぎの遊び人は入れない。真面目に一生をテレビに捧げた人間だけがそこに入れる。そういうコンセプトで物語を創った」「芸能週刊誌、新聞、テレビ等は、我々の不幸を最も喜ぶ。表面心配・同情の態度をとるが、なに内心は全くちがう。病気・スキャンダル・不祥事エトセトラ。我々の仕事に問題が生じると、彼らは張り切る」「世間からは、常にファン達の波にかこまれ、孤独とは対極の世界に住んでいると思われている芸能人。しかし、彼らは開花の時期の華やかさが派手ならば派手な程、旬を過ぎた時包まれる孤独と寂しさという厳しく残酷な現実があるのだ。世間は勝者には優しいが、敗者には冷たい」----。草創期からテレビを支えてきた俳優を勢ぞろいさせた「やすらぎの郷()」。野際陽子、八千草薫、梅宮辰夫----。「戦没者名簿」と記された。「その戦った者にテレビ界は、代理店は、スポンサーは、そして視聴者は、せめて多少とも報いてやることができたのだろうか。やすらぎの郷のような施設を誰も考えてやれないのだろうか」「富良野に住んでいる僕にとっては『北の国から』は、決して終わっていなかった」――倉本さんの怒りは続いている。

「破れ星、流れた」の続編でニッポン放送からの独立後の話。接した俳優も凄まじい。「燃えた! 『文五捕物絵図』」「妙に気に入っていただいた瞬間湯沸かし器・阿川弘之先生」「樫山文枝の全く別のキャラクターに遭遇した(欠点を描いてあげた方が人物の個性が光る)」「お茶という母の唯一の生きがいを取り上げてしまった悔恨」「短編小説にはヘソ()がなければならない」。そして「NHK大河ドラマ降板事件」

北海道札幌へ――。「ショーケン、高倉健、石原プロなどから頼まれて書く(拾う神あり)」「お前はすぐ図に乗って天狗になってしまう欠点がある。これからは常に自分の絶対頭の上がらない人を3人持ちなさい。この教えは強烈に心に響き、以後その言葉を座右の銘にしている」「北島三郎の人気の秘密――相手の年齢も、身分も全く斟酌せず、どんな客にも平等の客として、学識も何もなく対応していく(お客一番)。僕の脚本は、どこかで大学でのエリート意識を捨てきれず、プロデューサーや評論家、特殊な観客を対象にして書いている。これでは大衆はついてくるわけがない」「『前略おふくろ様』のおふくろ役・田中絹代さん。晩年は、貧困と孤独の中にあった。葬儀では行列が延々と続き、香典というより賽銭が積み上がった」。

そして富良野へ――。「高倉健の尋常でない寡黙と驚くほどのアメリカ映画についての勉強」「洒落と演技とサービスの勝新太郎、集中すると周りが全く見えなくなる演技派・大滝秀治」----。そして「北の国から」だが、「どんどん進歩する文明社会の中で、泰然とさからって生き方を変えない一人の男の極めて大真面目な人間喜劇を描いてみたかった」「黒板五郎役には、この中で誰が一番"情けないか"という議論になり、満場一致で田中邦衛に決まった」・・・・・・

そして富良野塾――。映画が衰退してからのテレビが生み出す安易な役者の氾濫に、腹に据えかねる怒りを持っていた、と言う。「大病をしていた石原裕次郎は脱皮しようと苦しんでいた。最後の依頼に応えられなかった」「炭鉱の地の底の世界を体験」「富良野塾の『谷は眠っていた』」「緒方拳が末期癌を抱えて臨んだ『風のガーデン』。ラストシーンの中井貴一と緒方拳。あれほど役者が真剣に渡り合い、全神経とエネルギーを使い果たした撮影現場を見たことがない」「マグロの一本釣りに命をかけるドラマ、死んでも構わないですと言った渡哲也」「妹のようであった大原麗子の死は、あまりにもショックで衝撃的だった」・・・・・・

「僕の仕事は人に"感動"を届けることである。それは、量より質の問題だ」との思いが、凄まじい熱量を持って伝わってくる。感動する。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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