舞台は大正時代末期の大阪・船場。平野町の呉服屋の「ぼんぼん」の古瀬壮一郎は画家になろうと東京に出る。しかし、関東大震災で被災して故郷に帰るが、その時の火災による怪我で亡くなってしまった妻・倭子への未練が断ち切れない。そこで巫女に降霊を頼むがうまくいかない。「行んではらへんかもしれへん。なんや普通の霊と違てはる」と、死んでもまだこの世にうろついているとの警告を受ける。その懸念どおり総一郎の周りには、奇妙な出来事が起き、倭子の気配が漂い始める。「この家に、倭子がいる。わずか一年ばかりの生活の末に亡くして、二度と会えないと思っていたものが」・・・・・・。
そのうち、倭子の霊について探る荘一郎は、「エリマキ」と巫女が呼ぶ顔のない"化け物"に出会う。エリマキは死を自覚しないで迷っている霊を喰って腹を満たしているが、倭子の霊は大勢の"何か"に阻まれて喰うことができないという。「あれは、俺の手には負えない。・・・・・・俺には喰えない」と。エリマキとともに荘一郎は謎を追うが、そこにはこの家に代々伝わってきたあるしきたりがあったことを突き止める。「お前の嫁さんは願ほどきをされなかった。だからあんな歪な姿でまだ、この世に留まってる」「(店を継いだ)義兄さんがなんぞ隠してはるのは確かでんな」・・・・・・。
「霊」というあわいの世界が、リズミカルで生き生きとした船場言葉で描かれ、ぐいぐい引き込まれる。上方の浄瑠璃のような台詞と音が響くようで魅了される。江戸で言えば、宮部みゆきの「三島屋変調百物語」を大阪で言えばこうなるのかなと思ったりする。見事。顔のないエリマキだが、人が強く思い入れを持つ顔に見えるという設定は、なるほど、そういうことになるだろうとの異次元の生命を想起させる。