banjounisaku.jpgゴッホに恋焦がれた青森の貧乏青年・棟方志功を懸命に支えた妻・チヤが語る苦難と栄光の物語。「ワぁ、ゴッホになるッ!」「弱視の版画家。顔を板すれすれにこしりつけ、這いつくばって、全身で板にぶつかっていく。見るものをおのれの世界へ引きずり込む強烈な磁力の持ち主。版画の可能性をどこまでも広げる脅威の画家。ゴッホに憧れ、ゴッホを追いかけて、棟方志功はゴッホの向こう側を目指し始めていた。何人たりとも到達し得なかった高みへと」「果てしなく長い旅路をともに歩もうと誓った人。力に満ちた大きな人。板画に全てを賭けた人。逸脱を恐れず、まっすぐ、まっしぐらに、全身全霊で板木にぶつかっていく人。挑戦の人。希望の人。夢を夢のままで決して終わらせない人」――それが棟方志功であり、「自分はひまわりだ。棟方という太陽を、どこまでも追いかけてゆくひまわりなのだ」とチヤは思うのだった。

棟方志功は1903(明治36)、青森の鍛冶屋の家に生まれる。ねぶたの地だ。1924年、画家への憧れを胸に上京した棟方志功は帝展の入選を目指す。しかし、絵を教えてくれる師もおらず、画材を買う金もない。弱視のせいで、モデルの身体の線を捉えることが難しく落選続きだった。やがて、木版画こそが、自分にとっての革命の引き金になると信じ、油絵をやめ板画に力を注ぐことになる。「木版画だば、日本で生まれた純粋な日本の技術だ。油油は、西洋の真似コにすぎね」「いかにしてゴッホがあんなにも情熱的で革新的な絵画を創作するようになったか。――浮世絵があったからだ。日本の木版画・浮世絵が、オランダの田舎町に生まれた名もなき青年を『画家ゴッホ』へと生まれ変わらせたのだ」・・・・・・。

大転機が訪れる。1936年、国画会の展示会場で巨匠である柳宗悦、濱田庄司が偶然廊下を通りかかり、棟方志功の「版画絵巻」に、「私たちは君の作品に心底感じ入った。いや、ほんとうに・・・・・・すっかり持っていかれてしまったよ」と絶大なる期待を述べたのだ。棟方志功は「ワだば夢見でるんでねが?」とぴょんぴょん飛び跳ねたという。

棟方志功はさらに没入する。びっくりするほどまっすぐで、呆れるほど一生懸命で。心と体の全部をぶつけて描いた。そして彫った。たった1枚の板と、1本の彫刻刀で、世界に挑み、世界を変えていく。ゴッホに憧れて、ゴッホに挑み、ゴッホに追いつき、ゴッホを越えて、どこまでも伸びていったのだ。

棟方志功の全身全霊をかけた没入姿勢が迫ってくる。それを支えた妻・チヤもまた、まっすぐで全身全霊をかけた一生懸命の人だった。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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