sengonihonshi.jpg「占領期から『ネオ55年体制』まで」が副題。憲法をめぐる対立に着目して戦後政治80年をたどり、日本政治の現在地を見極める。そこに見えてくるのは「ネオ55年体制」だと言う。昨年5月発刊の本。

「戦後70年談話」の際、「現在の日本の国の形は占領期に作られた」と安倍総理と話したことがある。憲法も自衛隊も税制も、そして沖縄も。本書では、「占領期7年間の『革命』」「非軍事化・民主化改革を日本に施した」として、特に「新憲法制定と農地改革の意義は格別に大きい」としている。そして「小作農の割合は全体の26%から6%へと激減。この『革命』は、農村での左翼政党の浸透を抑え、後の保守党による一党優位体制の確立に大いに寄与することになる」と述べている。「全面講和と片面講和」「改憲・自主防衛派と護憲・非武装中立派と、どちらの立場も採らない政府(吉田首相)」はその後、ずっと日本政治の底流を形成した。

「社会党統一と保守合同」によって、自民党と社会党が対峙する「55年体制」の構図が確立する。その保革対立の頂点が60年安保だ。そして、その保革の対立・分断を「資本家階級と労働者階級の対立としてのみ理解するのは単純化しすぎ。自民党は集票面では、小規模自営商工業者や農民の旧中間層を基盤とし、50年代の社会党は、ブルーカラー労働者だけでなく、都市高学歴層あるいは比較的所得の高いホワイトカラー層(新中間層)から多くの票を得た。新旧中間層の政治的志向の違いは、階級利益というより、両集団の文化、あるいは価値観の違いに基づくもの。旧中間層の自民党支持は保守的、あるいは伝統主義的価値観による部分が大きい。新中間層は革命を求めたからでは無論なく、自民党の逆コース志向を嫌ったためと考えられる。都市高学歴層は、他の階層に比べ近代主義的価値観を強く持っており、自民党の伝統主義的イデオロギーに違和感を持っていたのである」と分析をしている。

本書では「6080年代の政治を『実質的意味の55年体制』と呼び、5593年の期間を指す『形式的意味の55年体制』」と区別している。6080年代は55年体制的な特徴がよく現れており、特徴は野党の多党化、根強くも形骸化した保革イデオロギー対立、利益政治の全面化だとする。90年代には、利益政治に伴う政治腐敗、野党の断片化を一因とする政権交代の欠如といった55年体制の弊害に社会の厳しい目が向けられるようになる。

本書は「戦後憲法体制の形成」「55年体制――高度成長期の政治」「55年体制――安定成長期の政治」「改革の時代(55年体制の崩壊、政界再編、非自民連立政権、政治改革関連法の成立、自民党改革派政権の誕生)」「『再イデオロギー化』する日本政治」「『ネオ55年体制』の完成」の6章を立てる。学生時代からある意味、政治に関わってきた私として、一つ一つ実感を持って頭を整理した。そして今の現在地――「第二次安倍政権発足後、多くの選挙と政党再編が行われてきたが、結果としては、一党優位化と与野党第一党のイデオロギー的分極化が進んだ形となった。つまり、政党間競争の構図という点では、日本政治は一周回って(改革の時代を挟んで)元の55年体制に似た形に回帰した。与野党第一党の立場を分かつ中心的争点が憲法問題――特に9条と、現実の防衛政策の整合性をめぐる問題――であることも変わっていない」と、巨大与党と中小野党(特に野党第一党)が憲法・防衛問題を主な争点として対峙している状況を指摘する。55年体制から「改革の時代」を経てたどり着いた政治システム、それを著者は「ネオ55年体制」と呼んでいる。何を変えなくてはならないか、根っこを見つめなければならない。私が今感じるのは、政治への熱量の桁はずれの少なさだ。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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