oinofukami.webp90歳の日常とはどういうものだろうか――最近、よく思う。92歳になる黒井千次さんが、この5年ほどの日常の心象風景を毎月1編綴る。万年筆で書くという。

緑内障で片方だけの眼で読み書きをしたり、「最近よく感じるのが字の小さな印刷物の多いこと。クスリ瓶に貼られた説明書や注意書き」に苛立ったりする。「電車や飛行機に乗って遠出する場合、1人で行けるだろうか、大丈夫だろうか」と不安を感じる。「ふと気がつくと、自分の歩く範囲が著しく縮んで小さくなってしまってることに驚く」「朝起き出す際、これまで生きてきた歳月のカタマリのようなものに触れているようでもあるとふと思う」「便利なものがいろいろ出てきているみたいだが、自分がついていけるのは、せいぜいファックスまでだなと嘆く」「それにしても・・・・・・しかし、自分はよく失敗する。道での転倒などは経験しているので、気をつけているが、日々の暮しの中でのささやかな失敗は明らかに増加傾向にある」といった具合である。そして家の中には"老化監視人"とでもいった"女性"がいて、「この監視はなかなか厳しく、家の中に『老化』の気配が侵入するのを見張っている。年寄りくさい立居振舞いがあると、たちまち警告を受ける」・・・・・・。なるほどということばかりで、80歳で既にそうだと思うものだ。
「ヤツタゼ、電車で単独外出」「居眠りは年寄りの自然」「欠かせぬ<ヨイショ>の掛け声」「浴室で立ち上がれなくなった事故」「大切な手紙の処分」「若さを失って得られる<老いの果実>、貯えられた知が老いを豊かなものに変えていく可能性は十分にある」「今の日程ノートは記載がほとんどなく、ぽつんと記されている外出先はすべて病院(ごみ収集とプロ野球が教える曜日)」・・・・・・。

90の大台を思う年の瀬――健康寿命の維持・展開を心がける老人がいる一方で自分はもう充分に生きたのだから、このまま自然に日を過ごし、他人に迷惑をかけぬよう充分に注意しながら静かな生を送りたい、と願う人もいるだろう。必要以上に若く元気でいたいとは思わない。かといって、慌てて店仕舞いする気もない」と言う。それにしても、AI ・デジタル時代。「支払いくらい手渡しで」「暗証番号に捨てられて」と語っているが、もっともっと加速度的に凄い時代になってしまう。語られた半分以上は私の今既に感じていること。転倒以外は気をつけてもどうしようもないことかも。

80代の老いと、90代の老い。「80代の老いが持つ詩的世界は歳月とともに次第に変化し、いつか90代の散文が抱える世界へと変化していくのではないだろうか。・・・・・・<老い>は、単なる時間の量的表現ではなく、人が生き続ける姿勢そのものの質的表現でもあることを忘れてはなるまい。・・・・・・<老い>は変化し、成長する」と言う。その境地を見せてくれる。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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