「『もののあはれ』と『日本』の発見」が副題。著者はなぜ、本居宣長に注目するのか。「私が宣長に惹かれるのは、『西側』から到来する普遍的価値観にたいし、日本人がとった対応の最良の事例を提供してくれるからである」「人はだれしも、生きる時代を選ぶことができない。・・・・・・本居宣長の前にあったのは、日本を日本語以外の世界観で説明し続けてきた言論空間、すなわち、もう一つの『歴史』であった。西側から到来する価値を普遍的だとみなし、その導入に腐心することで国家として生き延びる。その立ち振る舞いは、自分の記憶を積極的に捨てることで、自分であろうとすることだった。だが、その国家とは、果たして日本だといえるのだろうか」「文化は文明に呑み込まれているのであって、固有の顔を失っている。・・・・・・だから、和歌を詠み、源氏物語を学ぶことで、宣長は『歴史』からの脱出をはかったのである」と言う。誰よりも根源的に、始原的に西側からの文明を撥ねのけ、日本文化、「日本」と「もののあはれ」を屹立させた本居宣長の独創的な「肯定と共感の倫理学」をくっきりと描き出す。
西洋文明の奔流を受けた明治日本の1900年前後、呻吟した知識人が世界に向けて「日本人」を発信した。1894年の内村鑑三「代表的日本人」、1899年の新渡戸稲造「武士道」、1903年の牧口常三郎「人生地理学」、1906年の岡倉天心「茶の本」などだ。深刻なアイデンティティー危機の中での叫びだろう。「西側」からもたらされる合理の風――勧善懲悪の儒教も形式化する仏教も、二元論とロゴスを基調に科学的な論理思考で組み立てられる西洋文明の世界観も、情欲を持って人間関係の中で生きる赤裸々な人間との間で生ずる摩擦は必然的であった。特に文明の衝突が現れるのが言葉の世界であり、宣長の「もののあはれ」論も、「そうした緊張関係を養分とし、歴史の堆積から生まれ出てきた思想である」と言うのだ。
しかし、論点はさらに進む。その「『もののあはれ』論の最大の発見は『色好み』、すなわち男女関係と国家の関わりを論じた点にあった」「多くの国文学研究者は 『近代』文学の発見だとみなし、勧善懲悪の儒教的文学観から解放された自己主張、自我解放の文学論の登場だとみなしてきた。しかし恐らく宣長最大の功績は、和歌と物語世界が肯定と共感の倫理学を主題とし、恋愛から『日本』という国家が立ち上がってくることを証明した点にある」「宣長は人間の実存ではなく、『関係』に注目したということだ」と言っている。
そして本書では、そこに至った本居宣長の人生の歩みが語られている。特に若き頃、江戸の「あきない」と京都の「みやび」に触れたこと。不向きな「あきないのすじ」を逃れ、「医者」に転身したこと。この江戸中期の時代、急激に貨幣経済が浸透、農本主義から重商主義への劇的な変化が起き社会が流動化したこと。何よりも宣長自身、女性・ 民との恋愛があったこと。契沖らの学問に触れ、賀茂馬淵と出会い(松坂の一夜)があり、古事記研究にのめり込んでいくこと。そして源氏物語は何を描いているかの考究・・・・・・。その思考過程は、極めて面白く、しかもたおやかで揺らぎない。
「しき嶋の やまとごゝろを人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花」には、死の匂い、男性的なイメージが伴いがちだが、熱い息づかいの恋愛も含め、移ろいゆく事象を多様性のなかで柔らかに受け入れる宣長の「もののあはれ」「肯定と共感の倫理学」は、むしろ女性的だとする。
「国学」とは、「復古的であると同時に、『西側』への懐疑から始まった学問」であり、「儒教や仏教を外来思想として退け、和歌と物語文学に日本人の原型を探る学問」だと言い、宣長はそれを万葉集や日本書紀ではなく、古事記、古今和歌集、源氏物語に見出したのだった。
「日本」の精神的古層を掘り起こした本居宣長自身の心の深層に迫るとともに、常に「西側」のパワーにさらされる日本、日本人の思考を刺激する熱量ある論考。