「ある精神科医の思索」が副題。精神科医として約10年、毎日何十人も来る患者さんに接して、どのような気持ちで対処してきたかの思いをそのまま語っているユニークな著作。臨床現場で試行錯誤する心の独白、つぶやきとも言える。
倫理的なサイコパス」――。毎日たくさんの患者さんの話を聞聞いている。患者さんの辛い気持ちがさしせまった形で伝わってくる。自殺未遂を起こした人も、怒鳴り声も上げる人も、涙を流す人も、いきなり謝れと言う人もいる。ものすごく疲れる故に、「サイコパス的に考えるとは、あるところで、全員の心を平等に考えるのをやめ、時間と気力を最適化する」ことになる。トリアージでもある。しかし尾久さんは「切り捨ててしまったかもしれない部分をもう一度検討し直せる"倫理的なサイコパス"に私はなりたい」と言う。「ついサイコパス的な方法を取らざるを得ない自分と、でも倫理的でいたい自分の葛藤」を本書で綴る。
「病気を診ずして病人を診よ」とはナイチンゲールの言葉。医者は全員がまず「病気」を診る。その必要があるのである。看護師は病気よりも病人を割合として多く見るように教育され、実際にそう実践している(よく考えれば、ナイチンゲールは看護師)」「病気と病人を診ると言ってもそれは、やや肌理が粗く、現場では病気と病人のどちらにより比重を置くか、みたいな判断をその都度していく必要がある」・・・・・・。「いい人」――「人間社会において、他を優先する気持ちを、本来的に持っている人が『いい人』ということになりそう。私はいい人にはなれそうにもないが、倫理的な人にはなりたいとずっと思っている」・・・・・・。
「近間と遠間」――「思春期くらいだと、世界が学校と家しかないことがしばしばあり、学校で人間関係がうまくいかず、親にもわかってもらえないと思った瞬間に、簡単に追い詰められてしまう。『大丈夫や。あんたのことを俺がわかっとる』と頼りになる人として、医師が一時的に機能すれば、本人を取り戻して、元の生活に戻っていける患者が多い」と、近間と遠間の関係の使い分けのデリケートさを語る。私の友人の精神科医が、かつて「患者さんを激励するのはだめだ。自分ではい上がってくるように、上手に崖から突き落とすことが大事だ。その突き落とし加減が精神科医の熟練の技だ」と言ったことを思い出す。
「破れ身の臨床」――「治療者の現実条件である『破れ身』が治療に影響を与えることもある。つまり、意図せずに見せてしまっている治療者のプライベートな部分の話である」・・・・・・。「身体に合わせる」――「朝起きて、身体がだるい時は、なるべくそのだるい感覚のままに過ごし、仕事なども力を振り絞らずにやることが大事。午後になって復調してきたら、その体調に合わせてまたできることをするといった具合である。人は、調子の良い時を勝手に基準として物事を考えやすい。あくまで予測した未来の方が偽物であって、現実には起きたことが全てである。朝起きて具合が悪かったとしても、具合が悪くない自分というものはどこにも存在していないのだ」と言う。現実にいち早く対応するということが重要ということだ。「高いいね血症」――「私は19歳の頃、実は高いいね血症に陥っていた。それがなぜ恐ろしいかというと、今まで感じたことのある1億倍のモチベーションが突如溢れてくるところにある。そして本来、もっとやるべきことや、自分がやりたいことがあるのに、忘れてしまい、いいねを得るために1億倍のモチベーションかけてしまうことだ。防ぐ方法はただ1つ、期待の水準をえげつなく高くしておくことだ」と赤裸々に言う。
臨床現場でその都度感じる心の振幅、乱反射が面白い。