「水滸伝」「岳飛伝」「三国志」などの長編の北方謙三さんが、原稿用紙15枚の章篇を書き継ぎ、孤高の中年画家の"生"を描く。濃密な十八篇。その行動と心象が、丁寧に柔らかく選び抜かれた言葉で綴られる。
独身、中年の孤高の画家。ひたすら絵を想い、絵を考え、絵を描く。腹が減れば肉を焼きカレーも作る。なじみの居酒屋で食事をし、スナックで飲み語らう。女性と親しく交わることもある。大人の巧妙で洒落たやりとりだ。野山を歩く。旅にも出て自然と出会い描き止める。2か月に1度アトリエに来る画商の吉野に、絵を売ることを任せる。「街の風景そのものに、興味を持ったことは、ほとんどなかった。私は静物画を描くことが多く、風景をほとんど描かないのだ。樹木を描いても、どこか具象めいてくる」「誰もがいいと思うから、絵は売れるのだ。しかし、ほんとうは誰にもわからない。そんな絵が、描けないものか」「私は、いま描こうとしている絵について、考えた。いつも、いま描こうとする絵で、それは10年以上抱いている気持だが、まだデッサンにもかかっていない。そろそろ、描くべきだろう。このままでは、モチーフが腐り、臭気を放つかもしれない」「私が捉えようとしているのは、女体ではなかった。女体を通して、自らの情欲を描く。情欲は、静止を求めない。情欲が募り切った時、不意に訪れる静止。そこに垣間見えるのが、つかの間の死だ。それを、私はなんとか描こうとしていた」「四年前の個展で、私は死を描く画家と評された。さまざまな評があったが、それが最も頭に残っている。死を具象として捉えきれたら、そこに命というものも浮かび上がってくるはずだ」・・・・・・。
「描くことは、生きること」――柔らかいが、軸がきちっと定まっている。周りに巻き込まれず、距離感を保ちつつ、人や自然と接している。騒々しくない。これもまたハードボイルドと思えるほど屹立していると思った。