崇神天皇の御代からニ千年余りの歴史がある武蔵御嶽神社。八百万の神々が遍満する奥多摩で集まった親戚の多くの子供たちに、ちとせ伯母が、不思議な怖い昔話を寝物語に語ってくれる。ちとせ伯母は明治43年生まれ、昭和初年生まれの私の母とは、親子ほども歳の離れた姉だった。明治、大正、昭和初期の話だが、確かに精霊や神霊、自然の脅威や神々しさが、日常に隣接し生きていた。武蔵御嶽神社と神職らの住まう集落に、今も続く宿坊を舞台とした綺譚集。
「赤い絆」――「猫イラズ」を飲んで心中を図った若い男女。女は死にきれない。そこでどうしたのか、また瀕死の女がこの世で最後に見た景色とは・・・・・・。「お狐様の話」――香奈という薄幸の少女についた狐つき退治。恐るべき結末。「神上りましし伯父」――ニ人の子を抱えて苦労していた母が恃みとしていた伯父が突然死ぬ。「神道における死は寂滅でも喪失でもなく、神上ったのだった」・・・・・・。
「兵隊宿」――日露戦争時、東京麻布連隊、一人の脱走兵が山中に。「役立たず」と言われた男のその後・・・・・・。「天狗の嫁」――天狗に拐かされた叔母の心の奥にあったもの。「聖」――山伏が突然訪ねてきて、「鈴木の御師様のお足下にて、修行を重ねなければ、熊野に参ることはできない」と言う。ひたすら壮絶な修行を続けるが・・・・・・。「捨身ですね。キゼンさんは、体を供養してしまったんですね」・・・・・・。「見知らぬ少年」――御嶽山の夜は長かった。夏休みで集まった親戚の子供たちは、「肝だめしをしよう」ということになり、私は一人で神社に向かうが、途中で秀(すぐる)と会う。その話をすると伯父や伯母は驚く。「宵宮の客」――個人の参拝客を泊めぬわけではないが、「旅館と宿坊の分別がつかぬ客」を祖父は嫌った。そこに凶状持ちのような男が訪ねてくる。「天井裏の春子」ーー母親に連れられて、春子という美少女が、狐落としをしてほしいと訪ねてくる。「祖父は人の声で説き続け、狐は身悶えながら嘆き続けた」・・・・・・。そしてこの狐は「春子さんの白い腕を手枕にして死んでいった」「春子に取り憑いた狐が悪者には思えなかった」・・・・・・。こういう狐もいると思える不思議ではかなく、壮絶にして優しい話。
「山揺らぐ」――大正12年の関東大震災の揺れる奥多摩。海抜1000メートルの御嶽山から燃える東京、横浜が見えた。「不逞鮮人が暴動を起こしている。住民が結束して迎え撃て」の指令が奥多摩にも下る。その時病弱であった達伯父は「デマゴーグ」と毅然と言う。「どうして朝鮮人が攻めてくるの」「いじめっ子はね、仕返しが怖いのよ」・・・・・・。「長いあとがき あるいは神上りましし諸人の話」――御嶽山の屋敷に「与平さん」と呼ばれる使用人がいた。「死生観を基とした仏教には時制があるが、そもそも生命の概念と無縁の神道には、過去も現在も未来もないのである。私が幼い頃からそこで体感していた『神々の遍満』という空気は、つまるところそうしたものだった」「御嶽山は変わらずその不変の核である見えざる神が、ひとりの作男を依代としてそこにあるような気もした」と描いている。
浅田版「御嶽山物語」の完結。