sakuri.jpg2.26事件の真相とは、事件の"真の犠牲"は誰だったのか――あまりにも多くの証言、分析がされている2.26事件を真正面から扱った熱量ある力作。

憲兵隊の軍曹・林逸平は、叛乱を指示したと目された北一輝、西田税とともに逮捕された重要容疑者である陸軍歩兵大尉・山口一太郎の調査を命じられる。山口は、優れた技術者で、侍従武官長として天皇に近侍している本庄繁陸軍大将を義父に持つ。蹶起した青年将校ともつながり、武器弾薬の持ち出しについて見て見ぬふりをしたとされていた。しかも獄中においても特別扱いされ、ストーブのある部屋で兵器の開発を許され平然としていた。林は関係者と次々に面会し、山口の真意と行動を探っていくが、疑念は膨らむばかり。しかも、林になぜか戒厳司令部参謀・石原莞爾が協力するとしきりに乗り出してくるのだった。

「北一輝や西田税、山口一太郎が青年将校を唆し叛乱を使嗾した」という全体図で捜査が進められる。しかし捜査が進むなか、青年将校とのつながりは深いものの、「山口大尉殿は邪魔でした。散々革新を唱えながら、最後の最後で隠忍自重を訴えるばかりでした」と言う証言も出てくる。山口も「これまで色々とやってきてしまってね。叩けば埃がいくらでも出る身」と自嘲したり、事件後「しくじった」と漏らしたり、「今、俺は、皇國を変革できる瀬戸際に立っている。そのためには、喜んで犠牲になる」と言う。違和感が膨らみ拭えない。事件直後、本庄繁侍従武官長に天皇への願いを託したり、同期の田中弥通じて橋本欣五郎への連携など、山口の活発な動きもわかってくる。

何よりも調査の中で、皇道派と統制派の激しい権力闘争が背景としてくっきりと浮かび上がってくる。また陸軍技術本部が山口の手引きのもとで策動に参加していること、石原莞爾も事件における重要な役者の一人として策動を仕掛けたこと、山口の同期が十月事件を引きずっていることなどが明らかになっていく。

事件の分岐点は、天皇の決断であった。天皇が、昭和111月、山口一太郎の起こした内閣弾劾訓示事件について報告した本庄繁に、「本庄、一つ聞く。お前は、私の味方か」の発言。当初、陸軍は「蹶起軍を友軍と認めるとの決定」をする。その中途半端な態度をとった川島義之陸相に、「お前の話を聞いた限りでは、陸軍は鎮圧に当たるつもりがないようだな。陸軍がやらぬと言うなら、私が自ら近衛師団を率い、賊徒を鎮圧する」と言う。本庄にも「私の股肱を殺戮した兇暴の将校の思いを汲めと、お前は言うのか」と叛乱軍として鎮圧することとを示した。天皇の断固たる態度が、事件を収束させる。229日の朝、蹶起軍の原隊復帰命令が発令された。皇軍相撃つ事態とはならなかった。

2.26事件――山口一太郎の宿志、苦悩と行動を抉り出するなか、各人、各派の思惑と壮絶な闘争、軍や国家の歪みを描き出す。濃密な力感ある作品。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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