bukkatoha.jpg「物価とは」「物価の変動とは」――。「物価が上がるし、年金は下がるし」など日常的にいわれるが、そんな日常的な直感がどうも簡単ではなく怪しいということがよくわかる。経済学の理論から「物価」について、きわめて丁寧にそして鮮やかに解き明かす。そして長年にわたってデフレに沈んできた日本の経済の課題を浮き彫りにする。

1974年の狂乱物価の真相。ガソリンなど石油関連製品の値段が上昇し、消費者物価指数(CPI)が前年比23%上昇。インフレの原因は原油高と思われがちだが、検証してみると原油高が狂乱物価をもたらしたという因果関係ははっきりと否定されている。真の原因は、日銀による貨幣の供給過剰」「原油価格が上がっても、貨幣量が増えない限り、物価は上がらない(フリードマンの主張)」「1980年代のブラジルは、激しいインフレの進行を抑えようと金利を引き上げた。正攻法だと思われがちだが、結果は逆となった。放漫財政で財政収支が利払い増加でさらに悪化し、貨幣の魅力を低下させたのだ」「インフレもデフレも貨幣的現象。流通するおカネの量が過剰になるとインフレに、過小になればデフレになる。個別の商品への需要と供給で物価が決まるのではない(フリードマン)」「狂乱物価後、物価の上昇は緩やかになり、バブル期にもさほど上昇しなかった。90年代半ばからデフレとなり、金融緩和等の政策が打たれたが、この状況がし四半世紀続いている」・・・・・・

何故か。「日本の消費者や企業には、今後もデフレが続くという『相場観(ノルム)』が染み付いており、『インフレ予想』に働きかける政策力によっても変わらなかった。デフレ脱却に異次元の金融緩和が効かなかった」「しかも日本のデフレには2つの大事な特徴がある。長期に渡っていること、緩やかであること(CPI前年比のマイナス幅は1%前後)」「加えて、日本企業の価格据え置き慣行がある。消費者は値上げを許容せず、企業も客離れを恐れて、小型化や減量を交えて表面価格を据え置く。世界的にも際立つ日本の『価格硬直性』となり、企業はコストカットばかり考える投資やイノベーションなき後ろ向き経営になる。大事なのは価格を高くできる『価格支配力』だが、緩やかなデフレが企業の『価格支配力』を削いでいる」・・・・・・

物価は日常生活そのものである。そこで感じる直感・直観は、多種多様のパラメーター、合成の誤謬、人々の心理と企業戦略が複合する「物価」とズレが生ずる。そこを踏まえた「豊かな直観」による経済運営・成長戦略、デフレ脱却が重要だが、それが極めて至難であることを本書は教えてくれる。「豊かな直観」をどう鍛えあげるか。日銀勤務、経済研究所を経て東大教授であり、物価と金融、マクロ経済の実践的担い手である渡辺さんから、常に今の状況を聞きたい。


ooruri.jpg「コーン」「コーン」という流星群の音が読後に余韻として残る。18歳、高校3年生の夏――。6人を中心にした仲間が、文化祭に出展する空き缶を集めた巨大なタペストリーを制作する。校舎の屋上から吊り下げた驚くべき大きさのものだ。近くに進出してきたチェーンのドラッグストアに苦戦する薬局を営む種村久志、東京の番組制作会社を辞め弁護士を目指して勉強中の勢田修、中学教師をしている伊東千佳、天文学の研究者となったスイ子こと山際彗子、会社を辞め引きこもり状態の梅野和也、そして空き缶タペストリーを言い出した張本人・槙恵介。恵介はなぜかタペストリーが完成する前に突然に仲間を抜け、その1年後の夏に死んだ。

それから28年、「こんなはずではなかった」と、ため息をつきながら45歳を懸命に生きている皆のもとに、スイ子が秦野市に帰ってきた。手作りで太陽系の果てを観測する天文台を建てるというのだ。久志、修、千佳らは、スイ子の計画に力を貸すことになるが、次第にあの高校3年の輝ける夏に思いを馳せていく。そして、恵介やスイ子が、思いもかけない悩みを抱えながらあの夏を過ごしていたことを知るのだった。「完璧」と思われていた恵介が他に見せなかった心の闇と決断を。

「人間は誰しも、一つの星を見つめて歩いている。・・・・・・それを頼りに歩いていけばいいと思っていた星が突然光を失い・・・・・・。けれど『星食』はいずれ終わる。その時は、見失った星をまた探してもいいし、別の星を見つけて生きていってもいい」「そう、星を見つけるためには、天文台が必要だ。だから今はあれこれ悩むのをやめて、この天文台を作り上げよう。彗子のためではなく、自分のために」「彗子は洟をすすり、千佳の顔を見た。秦野に戻ってくるのは怖かった。だけど、戻ってくるしかなかった。ここで一から始めて、恵介と18歳の自分に向き合わない限り、わたしはもう二度と星にも向き合えない」・・・・・・

そしてオオルリが導いてくれた天文台だからと、「オオルリ天文台」を、28年の歳月を経た仲間が再結集して作り上げていく。流星電波観測の音が響くのを聴く。なんとも澄みきった星空の心象空間が広がっていく。


niou.jpg歴史は勝者の歴史となることが多い。織田信長が朝倉・浅井を滅ぼし、本願寺・一向宗を倒したというが、加賀一向宗の中で、孤高の戦いを続けた「仁王」と呼ばれた男がいた。その最強の武僧・杉浦玄任の側から、壮絶な戦いを描き、激しき加賀一向一揆の実像に迫る。

「民の国をつくる」「誰の支配も受けず、民衆が自らのことを自ら治める政」を、加賀一向一揆の坊官・杉浦玄任は不動の信念として貫く。立ちふさがるのは、まずは越前の仏敵・朝倉義景、そして仏敵・上杉謙信、止めは仏敵・織田信長。加賀が生き残るために「仁王」は、あるときは朝倉とも結び、また謙信とも結ぶという智謀を巡らす。本願寺が軍事をも指揮をとる坊官を派遣し、衆議で決める体制をつくったところに信長を悩ました一向宗門徒の独特の形がある。しかし、加賀はこれら強大な外敵に囲まれるなか、間断なき戦闘を余儀なくされる。しかも一向宗内の政は、自己保身と腐敗・堕落が充満する有様であった。普段は穏やかで私心がなく、戦いにあっては鬼神のごとき「仁王」への民の信頼が高まるが、それがまた嫉妬の感情を呼び起こす始末。そのなかで「仁王」は戦い続けるが、歴史の濁流に飲み込まれていく。

「乱世と加賀一向一揆」「民の国への本願と宗教的情念」「民主主義の理想と政治権力」などの難題を、武僧の感動的・崇高な生き様で描く。現実にあった悲劇的エンタテイメント。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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