「清水一行と日本経済の80年」が副題。まさに激流とも言うべき経済成長の昭和30年代からの日本。その経済の生々しい現場、欲望の激突、そこから生ずる事件の数々。それら経済小説を書き続けた清水一行の波乱の人生と日本経済の興亡を描く。なんと生涯の作品数は214にもなった。あの城山三郎ですら118の作品であったことを思うと凄まじい。「全盛時代の昭和46年~60年頃は年間8~10作という猛烈な勢いで刊行していた」「400字詰め原稿用紙で月に800枚から1300枚という猛烈な勢いで執筆を続けた」という。
感じるのは、日本経済成長の凄まじい勢いだ。描かれる一つ一つの事件が自分の人生をたどるように思い起こされる。松本清張、あの梶山季之、黒岩重吾、森村誠一、横溝正史。梶山の「黒の試走車」と清水の「動脈列島」・・・・・・。走り回る取材スタッフ。映画化され、文庫は売れる。出版界も勢いを増す。追いまくられるように出版されるこれら経済小説、事件小説を読みまくったものだ。生々しい事件現場を描くゆえに、訴訟が起きる。ペンとは何であるか、最高裁にまでいく争いの激しさも描かれる。時代も経済も人も荒々しく激しかった。
忘れていたあの時代のエネルギーが蘇り、長期にわたり緩やかなデフレの中に沈む現在の日本を対比する。共産主義者として戦後の焼け跡を奔走し、結核にもなる。兜町を這い回り、週刊誌に株情報を書き続ける。書きためた原稿が、ついに昭和41年、「小説兜町」として、見出してくれた三一書房から出され、せきを切ったように次々と爆発的な売れ行きを示す。時代に作り出され、時代と人生を共にした男の姿を描く。清水一行、1931年生まれ、2010年没。