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「生きるとは何か、今、平家物語に問う」――今村翔吾の「平家物語」だ。保元の乱、平治の乱を経て、平家が権勢を振るう。しかし、平清盛の死、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いと、平家は滅亡する。平宗盛(三男)を棟梁とし、「相国最愛の息子」と言われる四男・平知盛が知略を尽くす姿を描く。妻の希子、平知盛を「兄者」と慕う"王城一の強弓精兵"平教経が一心同体で毅然と戦う。武士がいよいよ時代の主役に躍り出ようとする時、朝廷の権力を掌握する後白河法皇の策謀、それに抗した平清盛全盛時代とその死、木曽義仲、源頼朝、源義経らを活写する。特に、後白河法皇と源頼朝の権力への意志と陰湿な策謀は、際立っている。それに比して、平家は家族愛があり、美しく、哀しい。

「美しい」――これが本書全体から迫ってくる。「美しく戦う」「美しく生きる」「美しく死ぬ」、そして「美しくも哀しい人々の物語、琵琶で奏でる茜唄」。「美しく戦う」――義経が知盛と邂逅して「逢いたかった」「貴殿がおらねば、あのような美しい戦いはできなかった」と言う。戦のみ突出した義経ならではの印象的言葉だ。また、戦い方自体に「美しく戦い、美しく死ぬ」という戦争の様式美の転換が描かれる。「やあやあ我こそは」という戦い方を知盛は打ち破る。戦略を駆使し、奇襲もいとわない。それが、知盛と義経に共通して、これによって日本の戦場での戦いが大きく変化する。「卑怯」の感覚を覆す。「美しく死ぬ」であれば、屋島における平敦盛と熊谷次郎直実の場面が出てくるが、むしろ知盛の志を守ろうとして散っていく2人の息子、知章、知忠らの姿は胸に迫る。何のために生きるのか――。「人は飯を食い、糞をして、眠るだけではない。人は元来、唄う生き物なのだ。それは生きていることを誰かと共に喜び、この世に生きたことを留めんがためではないか」と描いている。

歴史はともすれば勝者の歴史となる。敗者の歴史でもある平家物語はなぜ描かれたのか――本書はそこを描いている。「何か、この時代をかけぬけた者の真を残す術はないか。情なくともよい。無様でも良い。悲しくも美しい人々の物語を」「散っていった平家一門、中には我が子知章もいる。木曽義仲も、やがては義経もそうなるかもしれない」と知盛は託すのだった。

「なぜ清盛は源氏を根絶やしにせず、頼朝を生かしたのか」は、歴史の提起する重要なテーマだ。清盛の考えを知盛は知ろうとする。敵は後白河法皇。天下三分の計。「朝廷から独立した互いに拮抗した三つの勢力(平家、鎌倉、平泉)があればいよいよ状況は膠着する(民は安寧を得る)」に到達した知盛は、屋島でも壇ノ浦でも常に大戦略を指向したのだ。

躍動感がある独自の歴史観に挑戦する力作。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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