「短篇の名手が『書くこと』をテーマに紡いだ豊饒の十作」と帯にあるとおり、すきのない考え抜かれた文章で、引き込まれる。面白い。
最後の「小説家の一日」では、長野県の八ヶ岳を終の住処にする作者が、毎日の生活の中ではっと浮かんだ言葉をメモとしてストックしていることが描かれている。そして「そのあと、小説の書き出しが浮かんできた。恭子さんが髪を留めていた大きめのバレッタ、あれの描写から始めようと海里は決めた。書き出しの文章が確定したときには、プロットの輪郭もほとんどできていた。こういうときがいちばん楽しい。書き出すとまた苦しむこともあるのだが、今はとにかく浮き立っている」とある。書き話すことの多い私だが、納得。動いている中にひらめきがあり、一瞬のうちに話が出来上がる。その通り、本書で際立つのは、「書き出しの見事さ」だ。一気にその世界に引き込む鮮やかなインパクトだ。「三月三日 やばい。もう会いたい。別れてから五分経ってないね。さくらが乗った新幹線・・・・・・(緑の象のような山々)」「それは五センチ四方くらいの、薄ピンク色の紙だった。『付箋』と呼ばれるものの一種であることを後日・・・・・・(園田さんのメモ)」「選考会は長引いた。私以外の三人の選考委員が推す小説を、私がどうしても評価できなかったからだ。でも最終的には折れて、その小説が新人賞に選ばれた(つまらない湖)」といった具合だ。
不倫の話がいくつも出てくる。身勝手で、妊娠となるや、たじろぐ男。腹を決める女。学校でひどいいじめにあっている女性の心象風景を描いた「窓」。「料理指南」では、年上の女性を愛する女性の心に浮かぶ母も使った「はい、おしまい!」の言葉。「凶暴な気分」は、きっと誰にもある修羅の命が絶妙に描かれている。
日常には終わりはない。苦楽が押し寄せ、その都度、決断を下さなければならない。神経の行き届いた無駄をそぎ落とした文章で、女性の日常の心象風景をキリッと描き出している。