nihonnohosyu.jpg「思考の座標軸を立て直す」が副題。時代の変わり目を表出する難問に直面してる今、「思考の座標軸」を立て直すことは極めて重要。「私たちは今こそ、近現代日本における『保守』と『リベラル』の議論の蓄積を再確認し、その意義を現代的に発展させていく時期に差し掛かっている」と言う。米英をはじめ保守・リベラルの意味合いは各国で異なるが、日本としての源流を探りつつ深めることは、政治的にも思想的にも意義深いと思う。

「保守」は、伝統を尊重しつつ秩序ある漸進的な改革を目指す(急進的改革ではない)。「保守主義とは、伝統の中で培われた制度や慣習を重視し、そのような制度や慣習を通じて歴史的に形成された自由を発展させ、秩序ある漸進的改革を目指す思想や政治運動である」。「リベラル」は、個人の自由や寛容の原則、多様性を尊重する。「リベラル」と言う言葉は、「気前のいい」や「寛大な」を指すもので、他者への配慮や寛容の精神が含意されている。「リベラリズムは、他者の恣意的な意志ではなく、自分自身の意志に従うという意味での自由の理念を中核に、寛容や正義の原則を重視し、多様な価値観を持つ諸個人が共に生きるための社会やその制度づくりを目指す思想や政治運動」。従って両者は対立概念ではない。日本では、「保守」の伝統を考える場合、明治維新と第二次世界大戦というニつの断絶があり、歴史の基本的な継続性・連続性において大きな問題を抱えこんだ。また「保守」の対立概念として「革新」「急進」があるが、東西冷戦構造の崩壊と経済発展による豊かさの享受のなかで、鮮明な対立図式が崩れていっている。一方、リベラルコンセンサスのベクトルは間違いなくあるが、その「リベラル」自体の内実が煮詰められていない。本書は、その本質を源流から探り当てている。その論考に触れつつ、私は「中間大衆論」に先駆けて、庶民大衆を代弁する公明党が1964年結成されたことに思いをめぐらせた。

本書では、保守主義の系譜として、伊藤博文、陸奥宗光、原敬、戦後の吉田茂の「保守本流」などを丁寧に論述する。リベラルについても、福沢諭吉から石橋湛山、清沢冽、さらに戦後においても丸山眞男らにおいて、日本におけるリベラリズムのの重要な達成が見てとれると言う。日本のリベラリズムは政治勢力や幅広い裾野を社会に持つことはなかったが、福沢諭吉をはじめとするこれら人物の影響は大きいとする。「一身独立して一国独立する」の福沢諭吉は「魅力的な人物」「福沢ほどリベラリストの名にふさわしい人物は少ないのではないか」「大切なのは個人であり、その独立である。身分制秩序や、それに基づく人間関係から個人を独立させること、そして逆にそのような個人が自由に活動できるような社会を発展させることこそが、福沢の目指したものであった」「人はいたるところに序列を見出し、卑屈に従うがそれこそ独立自尊を説く福沢にとって我慢できないものであった。豊臣秀吉が百姓から関白になっても、彼だけが偉くなったのであって、百姓一般の地位が高くなったわけではない。宗教も学問も等しく、『権力の偏重』に屈し、独立した宗教や学問は不在である。見られるのは『精神の奴隷』だけであると福沢は嘆く。果たしてこの福沢の嘆きは過去のものになったと言えるだろうか」と指摘している。

また、福沢諭吉を論述するとともに、丸山眞男丸山眞男における3つの主体像、福田恆存福田恆存と保守思想、村上泰亮新中間大衆の時代などについても力を入れて論述している。常に自ら責任を持って時代の変化の中で思考し続けた人達だ。保守合同してからの自民党は、自由主義的なハト派から、より国家主義的なタカ派まで抱え込んだが、その思想の系譜を、吉田茂、石橋湛山、岸信介、大平正芳とそれを囲む若い知識人に触れて語る。

まさに、「思考の座標軸を立て直す」という熱の伝わる著作だ。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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