rekisino.jpg「確かな教養を手に入れる」が副題。「ぜひ、歴史の勉強を仕事や人生に役立て、真の教養を身につけた大人になっていただきたい」「歴史の研究者は、単に過去の事実を掘り起こすだけではなく、より普遍的な知見を探り出そうとしている」――。そのためには、基本的な基礎知識と歴史感覚を身に付けることが大事と言い、そのメソッドを東大教授の著者がやさしく伝授してくれる。

「日本史の流れを整理する」「国名の不思議」「官職と位階」「江戸の物価の変遷」「和暦と西暦の換算」「千年の都・京都を歩く」「参勤交代について調べてみる」「日本の歴史全体がわかる博物館」「真田信繁の手紙を読んでみる」「東大データベースの活用法」。どれもふわっと曖昧にしてきたものが整理され、くっきりする。

「源頼朝が任じられた右近衛大将は、著名な社会学者の対談で『下っ端のノンキャリアだから、頼朝が京都にいる必要がない』などと言っているが、大きな誤解。近衛大将は、朝廷の武官の中で最高位の官職」「朝廷と幕府は、依存関係にあり併存。どちらかがどちらかを打倒するというような関係ではない」「江戸幕府の直属軍は、旗本軍として五番方(大番・書院番・小姓組番・新番・小十人組)があった」「ヤマト政権は、豪族たちを氏という組織に編成。聖徳太子が制定したとされる冠位十二階は朝廷に仕える官人を十二のランクに分け氏族ではなく個人に与えた」「金・銀・銭――江戸時代は金一両で米一石。現在でいえば、米が安いので、1両は12万円、1分が3万円、1朱が7500円。大石内蔵助の冊子によれば、金1両は銀56匁、銭1貫文を銀15匁替えで計算している」「基準を太陽の出没とし、日の出の時刻を明け六と言い、五つ、四つ、と数え、正午が九つ、それから八つ、七つ、日没の時刻が暮れ六つと言う」

「歴史の現場を歩く」――。「かつての平安京の中心線は今の烏丸通りではない。平安京の中心線である朱雀大路は、現在のJR嵯峨野線(山陰本線)が北上する線路上にあった」「秀吉の聚楽第は、南は丸太町通り、東は堀川通り、西は千本通りで囲まれていたところにあり、次に関白となった秀次に譲り、秀次自害の後は取り壊された」「現在に残る二条城は、徳川家康が建てた城」「横須賀製鉄所建設には勘定奉行の小栗上野介が尽力したが、徹底抗戦を説いて徳川慶喜に罷免され、上州に引退して戦ったが捉えられ斬首される。大正になって復権し胸像までできたが、第二次大戦中の供出で失われた。胸像になってからも受難の道を歩んだ」

「調べる・古文書を読む」――。「参勤交代の歩く距離は130キロ以上。経費については、鳥取藩の事例で1957両という記録がある。人足費が847両、馬の経費が492両、川渡し賃などが134両、物品購入費が387両、宿泊費が97両」と言う。大変なことがよくわかる。「日本の歴史全体を概観するには、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館の常設展示が一番」「京都の様子を伝える洛中洛外図屏風」「最古の洛中洛外図屏風は国立歴史民俗博物館に」「古文書とは何か――命令書や手紙等は古文書であり、逆に、著作物、編纂物、日記、メモ等は古文書ではない」「真田信繁の手紙を読んでみると、前途を悲観していることが伝わってくる。しかし、徳川方に伝わると承知していての手紙だ」「歴代天皇の研究によって、私は日本と日本という国の特質が理解できた気がする」

大変勉強になる。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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