生命学、哲学者の森岡正博早稲田大学人間科学部教授が若手哲学者と「生きることの深淵」を覗き込む対談集。
はじめに、戸谷洋志さんとの対談「生きることの意味を問う哲学」――。デイヴィッド・ベネターの「生まれてこない方がよかった」(2017年に日本で翻訳)の「反出生主義」をめぐる対談。「この世で生きることは痛みを伴い、痛みがあるというのは害だ」「生まれてこない良さの方が、生まれてきた良さよりも勝ってしまう」との主張だ。「生まれてくることの価値」の問題を分析、哲学の土俵に乗せた功績があると言う。大事なことは「生まれてきて、本当に良かったという道にたどり着くにはどうすればいいのかを模索していくしかない」と森岡さんは言う。確かに、ハムレットのいう「世の中の関節が外れてしまった」という脱臼した社会のなか、「生きてきてよかった」と価値創造の勝利の人生を目指す私たち。「反出生主義は、宗教・哲学・文学のなかで、連綿と流れている人類の基調低音みたいなもの」「誕生否定、出産否定ではなく誕生肯定へ」「反出生主義はほんとうに自殺を導かないのか?」――イデオロギーではなく、現実の生命力が課題となる。
次に「当事者は嘘をつく」「戦争、犯罪等のサバイバーのその後」の小松原織香さんとの対談「"血塗られた"場所からの言葉と思考」――。「赦しをめぐる(結論のない)問い」――「応報感情か赦しかの2分法では分けられない」「遺族の方が『まっとうに生きてもらわなくては困る』『簡単に死刑は許さない。もっとこっちと同じように苦しめ』と揺れながら考え要求する」「シベリアでも津波でも、生き延びてしまったことの罪悪感が、加害者の自覚と結びつく。加害者であることを引き受けられるのか?」・・・・・・。「天声人語」や映画「ひまわり」に「他人事の感覚」「離別のドラマに陶酔する私たちは一体何者なのか」と問いかけ、「私にとって倫理とは、人生を品行方正に生きることではなく、残された人生を『加害の経験者』としてどのように生きれば良いのかを探求することである」と言う。
「日本的なるものを超えた未来の哲学」として、哲学者の山口尚さんとの対談。大森荘蔵の哲学の中で、特に3つの論点「見透し線」「ロボットと意識の問題」「ことだま論」について語る。「我々がロボットに意識があると本気で思い始めた時に、ロボットに本当に意識が宿る」「最終的には食べることと触ること。人間がロボットを食べるか食べられるか。人間がロボットと恋愛をしてセックスをして妊娠すること。この2つが可能になった暁に、ロボットは十全な意味で心を持ち生命を持ったと我々は考えるだろう」と言う。
哲学対話を幅広く行っている「水中の哲学者たち」の永井玲衣さんとの対談、「降り積もる言葉の先に」――。「哲学とは、過去の哲学者について研究をすることではなく、自分が抱えている哲学的な問題について、自分の頭と言葉で答えを探求していくこと」「哲学は、哲学史や哲学用語の知識の側面と論理的に考える力や概念というスキルの側面が強調されがちだ。大事なのは哲学する態度」と語り合う。
「私は、人生探求の学としての生命学と、アカデミックな生命の哲学を、これからの仕事としてまとめ上げていきたいと考えている。このニつはきっと統合されず、いつまでも、緊張関係を保ちながら対立すると思われるが、その動的な対立、それ自体に価値があるはずだ。それは『誕生肯定の哲学』という大部の書物に結実する予定である」と言う。