takaaki.jpg吉本隆明の長女で漫画家のハルノ宵子さんが、父親の家で見せる素顔を極めて率直に描いている。次女の吉本ばななさんとの対談があるが、とにかく凄まじい家族だ。

「吉本家は、薄氷を踏むような"家族"だった」「"家の中に虎が2匹いる"ようなものだ」「『出て行く!』『イヤ、オレの方が出てくから!』・・・・・・ハタ迷惑で、危うく厄介な夫婦だ。それでも父は、"道化"まで演じてでも、母を失いたくなかったのだ。太陽と彗星のように、ものすごいエネルギー値で反発し合い、引かれ合う。そのエネルギーの大きさが釣り合うのは、お互いこのニ人以外いなかったのだろう」「父だってボケていた。最晩年になると、攻撃性は無くなった・・・・・・安心してください。皆ボケるんです」「(弁当でも)完璧主義の母。母は相当怖かった。母は、死んでやるって言ったら本当に死ぬ人ですから。一般的な脅しじゃないんです」「対談とは、本当にコワイものだと思っている。父は"バトルマニア"だ。和気あいあいと、おしゃべりする気なら受けない。自分の"リング"に上がってきたものは、ボコるつもりで臨んでいる。パンチを受けても返せる者なら、リスペクトしあえて、良い対談となる。もしも私が父と対談をしたら、間違いなくお互い"凶器"を持ち出しての"場外乱闘"となっただろう。それをやったら、もう二度と"家族"には戻れまい」「父が10年に1度ぐらい荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒しをもたらす場ではなかった。そのダブルパンチをくらい、耐えきれず噴出したのだと思っている。でも、それは誰のせいでもない。過剰なまでの闇と孤独を抱えているのは、自分自身だからだ。吹きすさぶ氷雪に傷をさらしている時こそが、癒しだったからだ。父は生涯自分の孤独から、逃れられない人だったのだと思う」・・・・・・。

「父は全てを脱ぎ捨て脱ぎ捨て、何もかも手放し、今日の1歩を歩いていた。今、この瞬間も、世界のどこかで歩いている。・・・・・・到達すべき何かを求め、何かを埋めるために、ただ1歩を歩く人だったのだと思う」と言うが、納得する。世の"知識人" に素手で荒々しく戦う吉本隆明に、1人荒野を行く骨太の吉本隆明に、私たちの世代は魅力を感じたのだと思う。不器用こそ魅力だったのだ。だからこそあの難解な「共同幻想論」、分厚い「重層的な非決定へ」を読んだのだ。今も手元にある「重層的な非決定へ」は、風呂で読んでいて落としてしまい、さらに分厚くなってしまっている。裏表紙に私のたくさんの書き込みがあった。滲んでいるのを懐かしく読んだ。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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