teikoku.jpg幕末から明治初頭にかけての不可思議な事件を扱った著作「刀と傘」は、衝撃的で極めて面白かった。今回は日露戦争前夜から太平洋戦争後まで、尾崎紅葉に師事した小説家、那珂川ニ坊が遭遇した事件を描き、その謎を解き明かす。舞台は第一話の東京・千駄ヶ谷の徳川公爵邸に始まり、京都から奈良へ向かう法螺吹峠、ドイツのポツダム、そして上海、敗戦の8. 15の京都の五話。舞台の広がりも大きいが、さらにそれを解明する探偵役が、まさに"帝国の妖人"。なんと北大路魯山人、夢野久作、石原莞爾、川島芳子、山田風太郎の若き頃という驚くべき仕掛けだ。「那珂川の赴く地に事件あり、妖人あり」――歴史・時代ミステリの連続短編集だ。立体的で面白い。

「長くなだらかな坂」――徳川公爵邸に盗人が入ったが、これといった被害もなく、盗人は逃走途中で塀から落ちて死んだと言う。札付きの与太者・ 辰三を小柄な青年・清吉が揉み合っているうちに、突然動かなくなったと言うのだが・・・・・・。「可笑しな話」と、書家の福田房次郎(後の北大路魯山人)が言う。清吉にも、房次郎にも自分たちを置いて去った「母への思い」があった。

「法螺吹峠の殺人」――急な嵐となったなか法螺吹峠にやっとたどり着いた那珂川ニ坊。藁葺きの茶屋にたどり着く寸前、左胸に短刀が刺さったままの男の屍体を発見した。その茶屋には、鳥打帽の警視庁の刑事、泰道と名乗る雲水、10代の青年と色白な娘の4人がいた。死んだ男は秘密結社に所属し、軍艦の青写真を盗んでいた。「此処におる誰かが殺したんヤロウかいね」と泰道は言い出し、謎が解かれていく。この雲水が夢野久作。

「攻撃」――大正12年、肺を患う妻を入院させ、ドイツのポツダムに向かった那珂川ニ坊。第一次世界大戦の敗北で政情不安、荒れるドイツ。戦勝国の日本を嫌悪するドイツ人の青年"博士"が、「日本の軍人は勇敢ではない。ポツダム郊外の屋敷で、日本の退役陸軍中将は割腹自殺できず、多量の睡眠薬で自殺した」と嘲笑する。ドイツ留学中の帝国陸軍軍人"大尉"は「中将は殺されたのだ」「臆病な帝国軍人なんていない」と啖呵をきる。さて、その驚くべき真相は・・・・・・。石原莞爾とゲッベルスまで出てくるが、謎解きは絶妙。

「春帆飯店事件」――舞台は昭和202月の上海。明治4年生まれで75歳になった那珂川ニ坊は、陣中慰問講演を要請され上海に渡る。宿泊する「春帆飯店」で、日本の軍律に従って、死刑を宣告された中国人の囚人が殺され、持っていた豪華な宝飾品が消えていた。犯人はこのホテル内の同じ2階にいるはずだと、捜査を担当する日本の中尉が言うのだが・・・・・・。その2階の部屋にいた"男装の麗人"が毅然とした態度で真実を暴く。川島芳子だ。

「列外へ」――敗戦直後の北野天満宮。境内の一角で意識を失っていた那珂川ニ坊は、青年に介抱される。上海で結果として人を殺した悔恨、8. 15の敗戦の衝撃、掌を返し軍部を批判し始める新聞や知識人への憤り・・・・・・。那珂川ニ坊は自殺を試みる毎日だった。青年は言う。「先生はちょっと純粋すぎるのかもしれない。僕はそこまで真剣に考えられる先生が羨ましい。僕は列外者の意識が強くて、どうも常に離れた場所から物事を見る癖がついている」と言う。那珂川は胸が軽くなり、もう一度だけペンを執ってみようと思う。「平気で矛盾を抱え、時に身の毛が弥立つほど悍ましく、それでいて、この上ない愛おしさも覗かせる不可思議な人間心理の妙を、小気味の良い物語に託して描きたい。死の淵に臨んだからこそ得られたこの体験を創作に活かせるはずだ」と思うのだった。この青年が山田風太郎。

大日本帝国の盛衰を体験した売れない、しかし書かずにいられない那珂川ニ坊と、歴史上の人物「妖人」を絡めて描くミステリ力作。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ