fukuda.jpg「処世術から宗教まで」が副題。昭和51年(1976)~昭和52年(1977)までの1年の間になされた講演。63歳~64歳の講演だが、もっと年上だと思っていた。「戦後を代表する知識人である福田恆存は、近代化の弊害を問い続けた。その思想のエッセンスが詰まった伝説の『最後の講演』初の活字化」とある。

日本は西洋という異質の文明、文化を輸入し見事に適応した。それは「江戸時代という一つの立派な政治体制、社会体制ができており、素地ができていたこともあるが、成功を獲得するために『日本的なるもの(宗教でも長歌でも)』を潔く捨て去った。犠牲を払った」「日本の近代化は、分野ごとに進み方がデコボコで、精神の近代化は、うまくいっていない」「成し遂げたのは『西洋化』であり、機械化や合理化に過ぎない。組織化、画一化、制度化、官僚化だ」「近代化が進むと、人間関係は希薄になっていく。規則や風潮に乗っかる日本人。自己判断ができない、いい意味での個人主義が身に付いていない。昔の武士道には自己のことは自己が律する精神があった」「近代化に呑まれるな。個人が自立し、操る側にならないといけない」・・・・・・。

「人生は貸借関係。道徳論でいかないで、是非、処世術の問題からいった方が良い。若いうちは、観念的な理想に燃える。しかし燃えるあまり、自分が動いていると錯覚を起こす、あるいは自己欺瞞をすることが多い。それを避けるために、俺のやってることは全部処世術に還元できる、換算できると考えてみることだ」――。理想論や精神論に縛られず、政治も経済も社会も人生も、状況を深くリアルに読み、適応能力を訓練する。それを処世術と言っている。道徳(キレイゴト)を排し、自分のエゴイズムに沿った技術の問題に還元するのだ。現在の政治の迷走を見るときに、リアリズムとポピュリズムがわからなくなり、その波に翻弄される姿が浮き上がってくる。「政治は、庶民を幸せにする技術である」との恩師の言葉がよみがえる。

「苦しいときの神頼み」――。「弱者の悲鳴というものは、その人(子どもでも)が自分が弱いからあげる悲鳴である。それは人間の本当の悲鳴ではない。人間の悲鳴というのは、人間が、人間の限界に達した、それ以上に行こうとしたときに、出てくる悲鳴でなければならないはずだから、強者の悲鳴だけが、本当の人間の悲鳴になる。これはその人の個人の悲鳴ではない」「ホームドラマには悲劇はない。神というものは強者のみが知る。弱いことを特権とする人生観に立っていたのでは、神に近づくことはできない、あるいは感じ取ることもできない」「全部技術、人間が可能な技術という問題にして考えると、どうしても可能でないところにぶつかる。そうしたら、今までマイナス札ばかり集めたやつがいきなりプラスになっちゃうというカード遊びと同じように、そういう神が出てくることを今日お話しして――折り返し地点は、ここにあるんだと、裏返しするということ――それを申し上げたわけです」と言っている。

そして「戦後と戦前の違い」は、「自己絶対視ということが、だんだん戦後は強くなってきた。現代に理想を合わせたらいいんだということになる。むしろ理想はそのままにしておいて、現代を裁くという態度じゃなくなってくるんです。それは間違っていると思う」と結んでいる。

近代化論争自体がなくなり、情報過多、SNS時代、タイパ・コスパの時代、そして哲学不在の時代――。今新たに考えさせられる講演。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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