fukuzawa.jpg副題にある「最後の蘭学者」との観点から、福沢諭吉を捉え、蘭学を踏まえて日本の近代化に挑もうとした福沢諭吉の姿をくっきりと描き出す。

「文明化」と「独立」――19世紀後半の日本は、この2つが交錯するなかでがむしゃらに進んだ感がある。西洋の文明を憧憬のなか急速に摂取しながらも、西洋諸国はまた日本の独立を阻む脅威でもあった。「『文明化』と『独立』との間の緊張と矛盾を孕んだ関係性を、最も鋭く直視し、思索を深めた人物、それこそが福沢諭吉であった」「そんな福沢諭吉の思想の本質、キーワードは『蘭学』である」と言う。福沢は黒船来航後の安政年間に、大阪で緒方洪庵の適塾に学び、塾長まで勤めた。安政5(1858)、江戸に出た福沢が、築地鉄砲洲の奥平家中屋敷内の長屋に開いた塾も蘭学塾であった。今日の慶應義塾はこの蘭学塾を起源とする。

「文明論之概略」の中で、儒学が主流であった徳川時代と、西洋文明が洪水のように押し寄せる明治日本とは、大きくと異なるとし、「一身にニ生を経るがごとく」と福沢は言ったが、攘夷論を批判し、西洋文明の洪水にも溺れず、日本の国家的独立を維持するために国民の道徳的紐帯を醸成しなければならないと考えるに至ったのは、蘭学を通じて、いち早く西洋学術に触れていたからだと指摘する。蘭学は、徳川日本の「洋学」であり、ペリー来航以降の「洋学」の起源である。

「慶應義塾の教育理念の1つ『自我作古』(我より古を作す)は、初めて触れる西洋の概念と東アジアの文化的伝統との間の緊張関係の中で営まれる翻訳の作業と不可分であり、『文明』や『窮理』、『演説』『自由』といった概念もまた、翻訳を通じた思想的格闘の産物である」「福沢にとって、緒方は、独立の精神や平等の思想を体現した存在であった。そして何よりも、緒方に鍛えあげられるなかで、福沢は誰にでもわかりやすく平易に語りかける、独特な文体を身に付けた」と言う。さらに「『窮理』『物理』の学を文明の学術として重視、儒学に対して、陰陽五行説等古くからの妄説に惑溺していると批判した」「福沢は厳しい国際環境の中で、日本の国家的独立について危機意識を抱き、西洋兵学、最新の西洋軍事学を学ぶ。単なる軍備増強論ではなく、測量窮理の学、算数測量の学など学術・科学の発展を基礎としたものであり、それが国家体制や政治秩序の変革に大きな影響を与えていることを鋭敏に見抜いた。兵制と国制が連動した、近代『国民』国家の原理を見出した」「わが国を守るには、国中の人々に『独立の気力』『自由独立の気風』が充満しなければならない。自らの力で己の誇りを守り抜く。何事も政府に依頼し政府に媚びへつらう『卑屈の気風』を取り除く」ことを訴えたのだ。

福沢は明治15年、「時事新報」に「物理学之要用」「経世の学亦講究すべし」を掲載する。そこで「『不学者流』が非合理的な『情海の波』に呑み込まれ、『偽詐』フェイクニュースに踊らされ、社会の不安や分断、軋轢を招いている。今こそ、周囲に惑わされずに努力で真理を探求する、『実学』『窮理』の精神を涵養しなければならない」「書物を深く読むものは、決して軽率に行動を起こしたりせず、沈黙して熟慮する」「(国会開設論の展開にしても)学問を通じた深い叡智に基づく熟議の政治文化を養うことが重要である」と言っている。140年後の今も全く同じだ。愕然とする。

著者は「明治維新後、『近時文明』の急激な発展に狼狽し、膨大な情報に踊らされ、情念が渦巻く現在、日本社会を安定的な進歩の道へと誘うためにも、『窮理』の精神に根ざした『実学』の普及が肝要となる。こうした時代状況のなか、福沢は徳川期において蘭学が果たした役割と意義を再認識・再発見し、明治日本の文明化の起源として改めて位置づけ直した」と言っている。また、中国と朝鮮の文明化を開化派との交流によって模索したが、無念にも崩れ、「脱亜論」に至ったことも論述されている。

「明治日本の文明化と独立を先導した福沢は、生涯にわたり、前野良沢や杉田玄白をはじめ、緒方洪庵ら蘭学の先人たちが守り発展させた『運命の炬火』を継承すると言う強い自負を持ち続けた。福沢にとって、蘭学は常に立ち戻るべき文明化の起源であり、帰るべき場所、自らの学問の故郷だったのである」「明治維新の動乱期、暗黒の世の中で唯一、洋学を掲げて『文明の炬火』を守り、日本の進むべき方向を示したのが、慶応義塾であった。福沢は最晩年の『福翁自伝』でも、同じ話を語っている」と結んでいる。本書は短いが、一本の骨太の骨格が気持ちが良いほど貫かれている。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ