「私がUAEから届けた『3.11』への支援」と副題にある。1990年にUAEの男性と結婚してUAE(アラブ首長国連邦)に移住した著者。東日本大震災にドバイで「チャリティー着物ショー」を開催し、支援に乗り出す。政治・文化・慣習・システムの違いに直面し、苦難に次ぐ苦難。「認可のない義援金集めが犯罪となるこの国では、相手が認可をこの目に見せるまでは、着物ショーをする気は全くなかった」「2001年以来、アメリカの監視団が国際送金を厳視しているため、目的のはっきりした送金の形をとる必要がある」ために、大変な苦労が続く。「ほとほと私の神経も磨り減った」という6か月間だったという。しかし、その経過を語るなかで、政治・宗教・習慣・文化の違いのなかで、いかに心の交流が図られていくかが描かれる。現場の現実だけに生々しく、きわめて説得力をもつ。
UAE、イスラーム、イフタール・・・・・・。これからの世界と日本を考えるなか、重要な指摘があふれている。
新聞社を辞めて、フリーのジャーナリストになった太刀洗万智。海外旅行特集の事前取材のために訪れたネパールのカトマンズで、衝撃的な国王をはじめとする王族殺人事件に遭遇する(2001年のナラヤンヒティ王宮事件)。そして偶然、会ったばかりの男が目の前に死体となって転がっていた。自ら尋問を受け、捜索が始まる。記事を書くべきか、生々しい写真を送稿すべきか・・・・・・。緊迫感がどんどん募り、そして意外な結末へ。
「米澤ミステリーの傑作」といえるが、重厚で深さを増しているのは、全体に流れる「王とサーカス」の題名にあるジャーナリズム、記者に内在する「知る」「伝える」という宿命的苦悩だ。「お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ。我々の王の死は、とっておきのメーンイベントというわけだ」「お前の心づもりの問題ではない。悲劇は楽しまれるという宿命について話しているのだ」「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ」「このニュースを日本に届けたところで、どこかの国での恐ろしい殺人事件として消費されていくだけだろう。・・・・・・ひとときの娯楽として・・・・・・。後には、ただかなしみに晒されただけの人々が残る」「知ることと広めることは話が別だ。・・・・・・伝え広める理由はどこにあるのか」――。そして、釈迦と梵天の「梵天勧請」、孔子の「怪力乱神を語らず」などの哲学を描く。太刀洗万智のとった結末は「踏みとどまった」のだが・・・・・・。苦悩の深さが尊い。
NHKの「あさが来た」に登場する「蒼海を越えた異端児」五代友厚(1835~85)。薩摩生まれ。琉球交易係の父親の影響もあり、ペリー来航で騒然となる幕末、早くから開国論に立って行動する。
いち早く幕府艦千歳丸に水夫として乗り込み上海に渡航。薩英戦争のときには、自ら捕虜となって英艦に乗り込み、英国の上陸を阻止する、藩命を得て遣英使節団として直接、ヨーロッパ文明に接触。グラバーやモンブラン等との交流など、実業家としての手腕は、幕末の志士たちとは異色の活躍ぶりだ。資金なくして幕末も、維新、明治初期は乗り切れない。交易、資本主義の育成、近代化に心を馳せつつ、大阪に焦点を当て、造幣寮開設や大阪商法会議所を設立する。幕府、長州、薩摩等の人脈の激しいツバ迫り合いも読みごたえがある。
こんな職業があったのか、そう思う。「歌うセールスマン」「縁日の露天商」「大相撲のタニマチ」「聞き書き作家」「金魚チャンピオン」「クラウン(パフォーマー)」「コンビニアイス評論家」「銭湯絵師」「宝くじの販売」「農家民宿主人」「フラメンコ・ダンサー」「モデラー(ジオラマ作家)」「屋形船の船頭」――。
「二足のわらじ」を履いているが、いずれも本気で、プロだ。「サイドビジネス」や「小遣い稼ぎ」や「副業」といった生活の臭いのするものではなく、「個人的な"夢"や"理想"、さらにはその人がその人であることを証明する『尊厳』に近いものだ」という。本気と一生懸命で素人を突き抜けた楽しさが伝わってくる。
最後の「今日という日は、残りの人生の最初の日だ」(チャールズ・ディードリッヒ)という言葉が、"体操の見事な着地"のようにビシッと響く。