往復書簡.jpg中学・高校時代、ふとしたきっかけで"事件"が起きる。その関係者は心に傷を負い、ずっとそれを抱え引きずる。乗り越えられないが、自らを納得させて生きなければならない。「10年後の卒業文集」「20年後の宿題」「15年後の補習」の3話。いずれも手紙のやり取りが始まり、真相が見えてくるが、関係した1人1人のその時の思いと行動が、いかに微妙に食い違っていたかが明らかになっていく。心に迫る傑作。

「10年後の卒業文集」――。高校時代の元放送部の浩一と静香の結婚式で仲間が再会するが、浩一の恋人だった千秋が姿を見せない。千秋は仲間と登った地元の山で滑り落ち、顔に大けがを負って、音信不通だった。

「20年後の宿題」――。高校教師の敦史は小学校時代の恩師・竹沢真智子の依頼で、前任の学校での教え子6人の消息を聞きに行く。20年前、先生夫妻と6人はピクニックに行き、川に1人が流され、助けようとした先生の夫が溺れ死ぬという事件があった。

「15年後の補習」――。28歳になっている純一は、恋人の万里子に突然、国際ボランティアの一員として発展途上国に行くことを告げる。そして往復書簡が始まる。15年前、1人が焼死、1人が飛降り自殺という事件があり、それに関係していたのが純一と万里子だった。


ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち上.jpgミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち下.jpg米国のベストセラー原作本が映画化され、日本でも今、上映。フロリダで生まれ育ったジェイコブを愛してくれた祖父が悽惨な死を遂げる。その遺言と遺品から見つかった奇妙な写真。空中浮揚している女の子、大きな石を持ち上げるやせた少年、口が2つある子ども、透明人間・・・・・・。祖父の遺言に従ってウェールズの小さな島を訪れたジェイコブは、廃墟の孤児院でミス・ペレグリンと共に暮らす奇妙なこどもたちと触れ合う。そして、祖父はその人たちと育ったこと、自分も祖父も「怪物の姿が見える」という特別な能力をもつ同じピキューリアの一員であることを知る。また驚くことに彼らは1940年9月3日を今なお毎日繰返しているというのだ。彼らとの一体感が深まり、やがて彼らに襲いかかる殺戮の脅威に立ち向かう日が来た。

不思議なファンタジー小説ではある。しかし同時に、人間の能力の個性と、無限性、生命的時間、ナチス・ドイツとホロコースト、子どもの夢と無垢の友情など、思いは時空を飛ぶ。


やさしさ過剰社会.jpg「やさしさ過剰社会」になっている。「子どもを叱れない親」「生徒をほめるだけの先生」「部下を注意できない上司」・・・・・・。「SNSに反応しないと傷つけてしまうし、仲間からはずされる」「注意することは大勇気がいるし、注意されることは大屈辱で、キレる」「他人を傷つけず自分も傷つかないようにする配慮過剰」「内面に踏み込まず、傷つけ合わない、社交的やさしさ」という深入りしない友人関係・・・・・・。

たしかに日本人は「自己中心の文化」ではなく「間柄の文化」のなかにあり、自己主張をする人物を見苦しいと感じてきた。「間柄の文化」では相手と対決するような場面を極力避けようとし、「相手を否定しないやさしさ」を保ってきた。相手に負担をかけないようにする思いやりのやさしさがあった。たとえば「察するに余りある」という言葉にある思いやり、慎み深い日本の文化があった。しかし、その伝来のやさしさが薄っぺらなものとなり、日本語の配慮、やさしさの婉曲な曖昧な表現においても、最近は「・・・とか」「・・・っぽい」「・・・かも」ともっと曖昧になっている。「やさしさ過剰社会」だ。それは「本当のやさしさ」ではなく気まずさを避けようとするだけの「上辺のやさしさ」の増殖だ。「偽物のやさしさ」に騙されてはならない。見分けられるようにしなければならない。「友だちのためになると思えば言いにくいことも言ってあげる友情」「子どもの将来のためと思えば憎まれ役を買ってでも厳しく叱る親心」「部下の成長のためと思えばリスクを負っても厳しく鍛える上司」・・・・・・。本当のやさしさをともに考えることだという。


竜は動かず(上).jpg竜は動かず(下).jpg英米仏蘭が日本を狙い、黒船来航以来、騒然たる幕末――。出色の才とうたわれた仙台藩士・玉虫左太夫は逐電し、江戸に向かう。儒学者・林復斎、目付・岩瀬肥後守、外国奉行・新見豊前守等との出会いに恵まれ、幸運にも日米修好通商条約の批准に渡米する外国奉行の従者の座を掴む。太平洋を渡る。そして日本初の世界一周を果たす左太夫の若き進取の眼は、鎖国で閉ざされた日本とは全く違う進んだ文明、恐るべき国力、誰もが同じ扱いを受ける共和の世界をとらえ、驚愕する。

将軍の後継問題に端を発する安政の大獄、桜田門外の変・・・・・・。帰国した左太夫は、藩主・伊達慶邦から、京洛の動静を探ることを命じられる。尊王攘夷、朝廷と幕府、長州・薩摩・会津、勝海舟・西郷隆盛・坂本龍馬・新選組。将軍家茂・孝明天皇の死、まさか薩摩と会津が手を組むとは・・・そして、終にはまさか薩摩と長州が組むとは。大政奉還と慶喜・・・・・・。歴史回転の濁流は、江戸を飲み込み、奥州は奥羽越列藩同盟をもって新政府軍を迎え撃つ。しかし、次々に破られ、列藩同盟の結束はもろくも破れ、同盟に奔走した左太夫の夢は潰える。幕末の各藩・武士の道と恩義と信念と気負い、なかでも怨念、「土佐は安政の大獄、長州は関ケ原、薩摩は木曽三川治水のお伝い。どれも恨みで動いている」・・・・・・。

左太夫が世界や京洛情勢を一定の距離感をもって見る立場にあるだけに、時流がよくわかる。(上)は「万里波涛編」、(下)は「帰郷奔走編」、副題は「奥羽越列藩同盟顛末」。力作だ。


ポピュリズムとは何か.jpg英国のEU離脱、トランプ米大統領誕生・・・・・・。その激震の背景に世界に広がるポピュリズムの台頭がある。その定義は「政党や議会を迂回して有権者に直接訴えかける政治手法」と「人民の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動」の二つがあるとする。

反エリート、エスタブリッシュメント・既得権益への反発と断罪、代議制民主主義の機能不全と草の根の人々の意思の実現、権力分立・抑制・均衡の立憲主義原則の軽視・・・・・・。そして外国人流入への強い警戒感、反移民・反難民、反イスラム、排外主義、置き去りにされた人々への共感、標的への攻撃、メディアの活用と人民への直接の訴え手法・・・・・・。世界に広がっている姿だが、反エリートということに加えて、富裕層というだけでなく、既存の制度による再分配によって保護された層を"特権層"と見なし、その"特権層"を引きずり下ろすことを訴えかけることから反移民・反イスラムが生まれてくる。

「21世紀の世界はあたかもポピュリズムの時代を迎えたかのようである・・・・・・。ポピュリズムとはデモクラシーに内在する矛盾を端的に示すものではないか。現代のデモクラシーは、自ら作り上げた袋小路に迷い込んでいるのではないか」という。たしかに「ポピュリズムは、デモクラシーの後を影のようについてくる」(マーガレット・カノヴァン)だ。「既成政党の求心力の弱まりと政党間政策距離の狭まり」「組織の時代の終焉と無党派層の増大」「エリート層と大衆の断絶」「グローバル化と格差の拡充、二極分化」など、ポピュリズム躍進の舞台は今、揃い始めているようだ。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ