JR上野駅公園口  柳美里著.jpg上野駅は東北の玄関口だ。関東や信越への発着点でもあるが、何といっても東北地方が投影される「ああ上野駅」だ。先日、アメ横の商店主に聞くと「東北の客が中心だったが、コロナ禍でめっきり減った」と嘆いていた。東京の他の主要駅とは全く違って、上野駅周辺は人生を抱え込み、日本の歴史を刻み込んでいる。明治維新で戦った西郷隆盛の銅像と彰義隊士の墓が共存し、その西郷も陸軍大将の軍服ではなく、逆賊となったがゆえに着流し姿、当初予定の皇居外苑広場ではなく上野公園に変更された。関東大震災では焼けなかった上野公園に避難民が殺到、大正13年に今上陛下御慶事記念として東京府に下賜されて、「上野恩賜公園」という名前になった。象やパンダの歴史をもつ動物園があり、桜があり、文化・芸術の藝大や博物館があり、アメ横があり、そして本書のテーマでもある「ホームレス」がいる。集団就職や出稼ぎの人を待ち受ける人間臭さに溢れた上野駅、東北をはじめとする人間の哀楽、楽しさ、悲しさ、空しさ、宿業がエネルギー塊となって吹き出している上野駅と街だ。

柳美里さんは2006年、ホームレスの方々の間で、「山狩り」と呼ばれる、行幸啓直前に行われる「特別清掃」の取材をする。ホームレスは早朝から「コヤ」を畳む。柳美里さんの人生の凄絶さは先著「人生にはやらなくていいことがある」でも生々しいが、「山狩り」の際、「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と衝撃の一言に胸を抉られる。本書の主人公もホームレスの仲間シゲちゃんも、互いに過去は語らない。諦観とかすかな優しさだと思うが、柳美里さんも、「なぜホームレスになったか」については、この小説で問いを発しない。柳美里さんだからこそだろう。「おめえはつくづく運がねぇどなあ」「この空間に自分だけが取り残されるものなのか」と主人公につぶやかせている。

主人公の「自分」は「天皇」と同じ昭和8年、福島県相馬郡八沢村(現南相馬市)に生まれる。出稼ぎばかりしてきたが、東京オリンピックの前年、東京に出稼ぎに来て、働き続ける。長男は昭和35年2月23日、「浩宮」と同じ日に生まれた故に浩一と名付ける。しかし21歳になって浩一は社会に出る直前、板橋で急死する。妻・節子が65歳で急死する。そして再び上野に一人で出て初めて野宿をするのだ。「死が、自分が死ぬ事が怖いのではなく、いつ終わるかわからない人生をいきることが怖かった。全身にのしかかるその重みに抗うことも堪えることもできそうになかった」――。悲運に見舞われながらも、48年間出稼ぎ生活で家族を支え、帰郷後は妻の突然の死をきっかけに故郷を捨てて、ホームレスになった主人公・・・・・・。

「パウエルズブックスが選ぶ今年最高の翻訳文学」として2020年、全米図書賞を受賞して大変な話題となる。難民や大格差で、「居場所を失くした人々」が世界的に大きな課題となっていることもあろうが、上野駅や東北、出稼ぎ、ホームレス、大震災の事態を、どう翻訳したのだろうか、興味のあるところだ。


51GgJRRB4UL__SX344_BO1,204,203,200_.jpg台湾の閣僚でデジタル担当政務委員。39歳。部門を超えて行政や政治のデジタル化を主導する役割を担い、マスクをはじめ新型コロナの封じ込めにも大きな役割を担った。自著としては初めて、しかも台湾と日本をオンラインで結んでディスカッションしながら作ったのが本書。

「デジタルはあくまでも道具にすぎず、その成否を握るカギは活用する側にある」と言うだけなら同類の本と同様だが、「デジタルは国境や権威というものを超えて、様々な人々の意見を広く集めることに優れている」「私たちの世代はデジタルネイティブではなくて"デジタル移民""デジタル先住民"。未来は生まれた時からインターネットがあった若者たちからやってくる。だから私も、デジタルネイティブの皆さんから学び、未来の方向性を指し示してほしいと願っている」という。それも静かに、なんら力むことなく。そして「人間がAIに使われるという心配は杞憂。AIはあくまで人間を補助するツール」「高齢者が使いにくいのなら、使いやすいように改良すればいい」「5Gについては都市からではなく、地方から先に進める」「高齢者、障がい者、ブルーカラーを支援する誰も置き去りにしないインクルージョンの力を確保するデジタル。"デジタルを学ばないと時代に遅れる"という態度は絶対にとらない」というのだ。

「AI推論とウィトゲンシュタインの哲学」「柄谷行人の『交換モデルX』」から影響を受けたことを語り、「デジタル空間とは、『未来のあらゆる可能性を考えるための実験所』ではないか」と言うのだ。そしてデジタル民主主義として「国と国民が双方向で議論できる環境を整える」「自分が何をしたいかではなく、人々が何を望んでいるかを考える」「For the peopleからWith the peopleへの転換」「閣僚になって『Join』という参加プラットフォームを開設。人々が語り合うために私が設計したプラットフォームは世界中の多くの政府で使われている」「このプラットフォームを介して、台湾では2019年にプラスチック製ストローが全面的に禁止となった」「小さな声をすくい上げて社会を前進させるためPDI(パブリック・デジタル・イノベーション・スペース)やPOを創設した」「現在の代議制民主主義は、私にとって原始的なシステムに見える。インターネットは間接民主主義の弱点を克服できる重要なツールとなり得る」という。

さらに「ソーシャル・イノベーション――一人も置き去りにしない社会変革を実現する」「マイノリティに属しているからこそ提案できることがある」「AIを使った社会問題の解決を競う"総統杯ハッカソン"」「都市と地方との教育格差を是正する『デジタル学習パートナー』」「デジタルに関する"スキル"よりも"素養"を重視する」「問題解決にAIを役立てる場合、プログラミング思考・アート思考・デジタル思考が必要で、そのベースとなるのが自発性・相互理解・共好という3つの素養だ」・・・・・・。

「デジタル化」「デジタル庁」について、オードリー・タンは具体的展開をすでに始め、リードしている。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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