早稲田大学で教鞭をとっている重松さん。コロナ禍の3年余、若者はまた子供たちは、何を考えどう行動したか――。しかもこの期間には、本書の「夜明けまえに目がさめて」で語るように、「令和ちゃんは、なにごとも中途半端が嫌いで、白黒をはっきりつけないと気がすまないキツめの性格なのだろうか」「日本語にはせっかく『しとしと』『そよそよ』『しんしん』『さんさん』という素敵な言葉があるのに・・・・・・」「風が吹いたら暴風、雪が降ったら豪雪、天気が良ければ、猛暑日」と、「とにかく極端なのだ」。そして、ロシアによるウクライナへの軍事侵略、安倍晋三元首相が銃撃されて、白昼堂々、"衆人環視"のもとで、命を奪われる。コロナ禍では、人との会話・接触が奪われ、マスクに覆われた世界となる。
学生たちに日記を書かせ、それに触れつつ文を綴る。2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵略――「ゼミ生の日記が変わった」と同時に、「なるほど、スマホで開戦を知る世代なんだなあ、テレビではなく」と思うのだ。重松ゼミの学生は幸せだと思う。世の中に出るといろんな壁にぶち当たる。しかし「まずは壁の前で絶望するな。小さな穴を開けることから考えよう」、そして「壁はそこにドアノブをつければ扉になる」「よくがんばったな」「またどこかで必ず会おう」と呼びかける。
中学校入学式までの忘れられない小学生の日々を描いた書下ろし作品「反抗期」も、小学6年生がどんな思いで、コロナ禍を過ごしたかがよくわかる。留めておきたい記録でもあると思う。
コロナ禍の子供たちや学生――。心にしみる豊かなメッセージの数々。改めて、この3年余を思い起こす。
「日本経済は、今後さらに深刻な問題に直面する。長期的には高齢化が進行し、日本経済の成長にネガティブな影響を及ぼす。これに対応するため、外国人労働者の受け入れ拡大や新しい技術の開発が求められる。直近の問題としては、スタグフレーションの恐れがある。海外からインフレが輸入されるが、実質賃金は伸びないという『インフレと経済停滞の共存』だ」「本書では、これらの問題を『付加価値』という概念を中心に説明していく」「金融緩和を続けていれば、そのうち何とかなる、などという幻想を捨てることが必要だ。低金利と円安を続け、その上補助金をばらまいているだけでは、日本企業の体力はますます弱まる。こうした事態を防ぐため、新しい技術を積極的に取り入れることが必要だ(デジタル技術、生成AI)」と総合的に分析、提言をする。
「日本の地位低下の原因は円安。円安に安住して、改革の努力を怠った」「金融緩和と円安政策を進めたことが、日本企業の技術革新力を喪失させた。技術開発力の衰退が日本衰退の最大の原因。日本銀行はそう思わないだろうが」「問題が生じれば、すぐ補助金を出すが(ばらまき政策)、何の役にも立たず、企業が補助金に依存する体質を作り出し、企業を弱くしている」「時価総額の世界のトップ100社に入るのはトヨタだけ。100社の中で『テック』が25社、医薬品産業が12社もあるが、日本は遅れている。新しい資本主義とはハイテク産業の事だ。アメリカでは、企業の新陳代謝が起きている」・・・・・・。
「成長を牽引してきた日本の製造業だが、就業者が減り(中国の工業化などで打撃)、人減らしで維持しただけで、技術開発やビジネスモデルの改革は行ってこなかった」「賃金は労使交渉で決まるのではない。賃金が上がらないのは付加価値が増加しないから。賃金は労働の存在量、資本量、技術進歩で決まる」「産業別・規模別の賃金格差をもたらすのは、分配率でなく資本装備率の差」「小規模企業や対人サービス業の賃金が上がらないのは、生産性(一人当たりの付加価値)が低いからであり、それは資本装備率が低いからだ」「2000年以降、医療・福祉を除けば、日本の産業構造はほぼ固定化してしまっており、産業構造の転換が進まず、構造や政策が製造業中心の時代から変わっていない。アメリカでは、IT企業が急成長、大きな構造変化が起きた」・・・・・・。
「貿易収支が20兆円の赤字に。赤字拡大の直接の原因は、資源価格高騰と円安」「スタグフレーションの恐れがある。物価引き下げによる実質賃金の引き上げを目標とすべきだ」「今後、高齢化の進行に伴って、社会保険の財政自体がひっ迫するので、少子化対策で社会保険料率の引き上げは筋違いだ。法人税の増税を検討すべきだ。増大する社会保障費を賄うためには、消費税率引き上げが必要」と言う。
「異次元金融緩和は物価上昇を目標にしたが、マネーストックは増えず失敗した。円安への安易な依存が企業の活力を奪い、円安政策から脱却できなくなった」「過剰な金融緩和の是正が日銀新体制の課題」「マイナンバーカード『迷走』曲ーー健康保険証を廃止していいことがあるのか。利用者の利便ではなく、カード普及だけが目的となっている。マイナンバーの利用範囲拡大のポイントは預金口座」「この問題は、結局のところ、国民が国を信頼するかどうかにかかっている」・・・・・・。
「日本経済衰退の原因は、IT革命に対応できなかったこと」「デジタル化投資こそ、日本が目指すべき道」「生成AIの登場という大変化が生じている。ChatGPTの基礎になっているトランスフォーマー技術の成長に見るアメリカの強さ」・・・・・・。
低金利と円安を続け、補助金をばらまいているだけでは、日本の企業は体力をますます落とす。新しい技術を積極的に取り入れ、日本を再興せよ、と言う。
「これが最後の作品集になるだろう」と言う巨匠・筒井康隆さんの最近の25編を集めた作品集。いずれも8ページ程度と短い。しかしキレは抜群で鮮やか。右に左に、上下にぶん回される。極めて面白い。
最初の「深夜便」や「花魁櫛」――男と女。シャレが効いていて絶妙。男は鈍、女は不可思議。
「白蛇姫」や「コロナ追分」――ブラック・ユーモアの中の普通では言えないギャグ、不謹慎パロディー。巻き込まれて、ひどい替え歌をつい歌ってしまう。日本はどうなったの、そんな世界へ連れていかれる。最後の「附・山号寺号」も凄まじい。やばい現実を突きつけられもする。
息子さんの死に触れている「川のほとり」は寂しさや優しさが迫ってくる。「羆」――今年は人里に熊が出るが、こんな生き生きとした表現の童話だったら、映像にはるかに勝る。「楽屋控」や「プレイバック」ーー自分自身の事だから、人や物の本質を鋭角的に捉えてグサっとくる。「美食禍」――飽食の時代を時間軸を逆転させて切る。「離婚熱」――男には、一様に離婚熱というものがあって、なぜだかそうした実害のない不満だけで、離婚したくてしかたがなくなる時期がある。それはもう離婚熱としか言いようがない、灼けつくような離婚願望なんですよ。
「手を振る娘」――短編なのに、その世界を作り上げる見事さ。「最初におれを見たとき、なんで手なんか振ったんだろうね」。その店主の答え絶妙。「夜来香」――戦争が終わる上海の繁華街の喧騒の中にある孤独や寂しさと、「夜来香」の歌声。「塩昆布まだか」――100歳夫婦、こんななるなぁ!
「プレイバック」も「カーテンコール」も名だたる役者総出演。みんな生き生きと生きている。
1944年から1945年戦争終結に至るドイツ――。ナチ体制下におけるエーデルヴァイス海賊団の少年少女は、いかなる思いを持って戦ったか。そして大人たちは・・・・・・。極限状況に追い込まれた時、人は何を考え生きようとするのか。政治的レジスタンスを超え、人間存在次元から問いかける魂を鷲掴みにする感動的作品。
追いつめられ、残虐、過酷な統制を敷くヒトラー体制下のドイツ。父を処刑され居場所をなくしていた少年ヴェルナーは、ヒトラー・ユーゲントに戦いを挑むエーデルヴァイス海賊団を名乗る少年少女に出会う。町の名士の息子・レオンハルト、武装親衛隊将校の娘・エルフリーデ。その後加わる爆弾を愛好する少年・ドクトル。彼らは、愛国心を煽り、徹底した統制を図り、自由を奪い、密告を横行させ、ユダヤ弾圧を強行する体制に反抗する行動をとる。やがてヴェルナーたちは市内に建設されたレールの先に何があるかという不審を抱く。大人たちは車両を整備する操車場だと言い張り、口を閉ざす。ヴェルナーらは線路をたどる行動に出る。そこで強制収容所を発見、監視兵に足蹴にされる囚人たちがロケット兵器などを生産している死と強制労働の現場を目撃する。そこに着く貨物列車からは囚人服を着せられた人たちとともに、死体が異臭を放っていた。地獄絵図を見たのだ。衝撃を受けた彼らだが、やがてドクトルが見つけてきた巨大な長延期爆弾で、線路のトンネルと橋梁を爆破する計画を立てるが・・・・・・。
少年少女の純粋な感性と、したたかとも欺瞞ともいえる大人の生き方を対比。過酷な戦乱の中での「歌」という文化の力。この2つが鋭角的に絡み合って最後の1ページまで緊迫した展開が、ぐいぐいと胸に迫ってくる。ハンナ・アーレントのアドルフ・アイヒマンの「悪の凡庸さ」がまず想起させられる。ヴェルナーは、「(大人たちは)あそこに強制収容所があり、人が殺されていることもうすうす気づいている。でも、だからこそ、気づくことを恐れている。他の誰かに嘘だと言われて、喜んで騙されていく」と思い、エルフリーデは、「私たちは何も見なかった、私たちは何も聞かなかった、私たちは、ただ自分たちが生きられるよう精一杯頑張っただけ。そうやって、他人をごまかして、自分をごまかして、本当の自分に向き合うのを避けて一生を送ることになる。私は嫌だ、私は見た、私は聞いた、私は人の焼ける臭いを嗅いだんだ。その責任を果たす」と叫ぶ。しかしシェーラー少尉は、「およそ青年は、道を踏み外しやすく、己の中の衝動によって人生を誤るものだ。けれども、戦争は、人を正しい道を歩ませてくれる」と戦争を合目的的に論理づけ、女性教師のアマーリエは、「ヴェルナー。自分が反体制的な人間だと考えているのなら、それを表に出すのは、もう少し後でもいいと思うのよ。私がそうであるように。どのみちもうすぐ、この戦争は負けて終わる」と言う。大人のおぞましい姿に、少年少女は吐き気がこみ上げてくるのだ。「爆破するしかない。俺たちが本物の人間であるために。そのためなら命などは惜しくない」と、ナチを憎み、エーデルヴァイス海賊団という居場所に居心地の良さを覚えるのだった。それはまた、政治的レジスタンスとは違い、「自分たちはただ、愉快に生きようと思っていただけで、あそこに強制収容所があることが気に入らなかっただけなのに」とヴェルナーは述懐する。それが"筋金入りのレジスタンス"ではなく、エーデルヴァイス海賊団だったのだ。さらに政治的支援がかき消され、処刑に追い込まれたレオンハルトが「武器や弾薬で戦うのはもう無理だ。だから市民に呼びかけて、ここを包囲してくれ。そして僕らの歌を歌ってくれ。それで僕を助けるんだ」「敵と味方の区別を無効化して、歌の下に人を集めることができる。文化の力で僕を助けてくれ。文化が、野蛮に勝つところを見せつけてくれ」と叫ぶ。ナチは、そして戦争は、ファシズムは、文化をなぎ倒す。野蛮に対し、文化の力で、まっとうな人間力で勝利する。「歌われなかった海賊へ」の表題は、武器袋弾薬ではない戦う力が、文化であることを少年少女の戦いに託して訴えている。強烈なボディーブローだ。力感と精神性のみなぎる作品。
2004年の発刊。「菅沼の城 奥平の城」が副題。「戦国時代の陽光と陰翳を今に残し、ひっそりと人知れず佇む古城たち」「日本史への熱い想いを綴る初めての歴史紀行」と帯にあるが、著者と私の故郷でもある東三河の城を中心にした歴史が描かれている。小学校1年生の時に校庭となっていた新城城のお堀にグラジオラスを植えたことを今でもはっきり覚えている。
飯田線に野田城という駅があった。元亀3年(1572)12月、三方原で家康軍を破った武田信玄は翌年、宇利峠を越えて2万以上の大軍で菅沼定盈が籠る野田城を攻めた。守るはわずか400余人。徳川信康(岡崎城主)を誘い出す手もあり、織田信長との決戦を三河でするための兵站としての野田城を取っておきたいと信玄は思ったのではないかと言う。しかし野田城は1ヵ月も持ちこたえた。信玄にとって最後の戦いとなったのだ。私の生まれたのは新城で、新城小学校が新城城址だ。全国を見ても、堂々とした城門を今なおもっている小学校は他にないのではないか。築城したといわれる奥平信昌は、天正3年(1575)の長篠城を守り抜いた城主であり、家康の長女・亀姫が嫁いだことでも名高いが、家康は「長篠城では、みすぼらしい」と思い、新たな城を築かせたのではないかと言う。信昌と亀姫の間には4男1女が生まれ、宇都宮10万石、姫路18万石などを領したというが、亀姫の威力であったようだ。奥平氏の本拠は、今の群馬県吉井町にあるようで、それがやがて三河の作手に移ったという。今橋城(吉田城)を築いたのは牧野古白。今川の家臣である牧野一家は牛久保あたりに住んでいたが、永正2年(1505)に今川氏親から三河の国に新城を築き治めよと言われ、牧野古白が今橋城を築いた。
この東三河の地は、今川、岡崎の松平、渥美の戸田、さらには武田など、激しい攻防の中に常にあった。やがて徳川の時代になって、この地の者が全国に遣わされ、重大な任を負うことになる。