荀子は孟子の生きた比較的安定した時代よりも抗争厳しき戦国時代。儒家の伝統の中に位置するが、天を重視したり、依存する思想とは異なりをみせる。天を
思慕して手をこまねいているよりは、人間的な能力、集団的組織力の発揮をも重視し、それゆえに規律・秩序たる礼義を唱える。「天人分離」の思想だ。
太田あきひろです。
毎日のように政治のひどさが露呈しています。"運用3号問題"(専業主婦の国民年金切り替え忘れ問題)は、これほど多額の財源を要する大事な問題を、課長通知で行なってしまうこともひどいし、官僚に責任を押しつけるのもひどい。
また、民主党の土肥衆院議員が、日本政府に竹島の領有権主張を中止するように求めた「宣言文」を韓国国会議員と共同発表したことは、驚くべきことで、ひどすぎます。
「朽木は雕(ゑ)る可からず。糞土の牆(しょう)は杇(ぬ)る可からず」(論語)のとおり、今の政治は朽木でボロボロの土塀、まさに修復不可能の感があります。国家・人間の基本が崩れている。ひどすぎる軽さ・迷走を正さないと日本は沈没してしまいます。
しっかり頑張ります。
生まれてからずっと不況だった世代を「不況ネイティブ」と呼ぶならば、若者は「デジタルネイティブ」でもあるという。バブル崩壊、就職氷河期、ゆとり教育
の中で生きてきた今の若者。かつての「いい会社に就職」「バリバリ働いて高給をとる」「エリートになる」が当たり前ならば、(かつての世代からすれば)不
幸ということになる。しかし、今の若者はもう違う。最初から「大手企業に就職して・・・・・・」などという意識をもっていない。とくに女性はそうだと福嶋
さんはいう。
「上り坂の儒家、下り坂の老壮」という。孔子は難しいこの世を価値ある目標を定めて努力する立場だが、老壮思想は違う。田口さんが論語の一言、老子の無言
というとおりだ。言葉を絶対視しないで実感による体得を重視する。欲にとらわれれば、果てしなき渇望の世界にからめとられる。見えない、聞こえない世界、
その深さを我を離れて感得するところ、道が見える。「絶対自由の境地」、「名人・達人の領域」に悟入する。
現代社会にあって最も深刻なのは、哲学が不在であることだ。とくに政治家に。
「アクセルしかない車のような欲望社会の中で、前進しながらも『仁』というブレーキをきかせて軌道修正する」――田口さんの言葉だ。「朽木は雕(ゑ)る
可からず。糞土の牆(しょう)は杇(ぬ)る可らず」「未だ人に事ふること能はず。焉んぞ能く鬼に事へん」――今の政治は朽木で、修復不可能の感があるが、
究極するところ哲学不在であり、人間通でないことにある。先義後利を心中に刻むべきである。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」(ビスマルク)を引き
つつ、田口さんは「知者は惑はず。仁者は憂へず。勇者は懼れず」を示す。人の道、宇宙の根源(師)との対話の極致が述べられていると思う。