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日本を愛したスパイ、ドクター・ハックことフリードリッヒ・ハック。副題には「日本の運命を二度にぎった男」とあるが、ひとつは日本を悲惨な戦争に導いた日独伊三国同盟(1940年4月27日)に至る契機となった1936年(昭和11年)11月25日締結の日独防共協定にかかわったこと。ヒトラーのファシズム国家ドイツと軍国主義の日本が協力してソビエトの共産主義の進出に対抗しようとした条約だ。そしてもうひとつは、「日本を戦争から救い出す」ための和平工作(藤村・ダレス工作とヤコブソン工作)だ。


ヒトラー側近のリッベントロップ、日本陸軍駐独武官・大島浩、リヒャルト・ゾルゲ、酒井直衛、藤村義郎、アレン・ダレス、ゲーロー・フォン・ゲヴェールニッツ、そしてアーノルド・ファンク監督と原節子・・・・・・。緊迫した世界のなかで、日本とナチスを結び付けた十字架を背負いつつ、反ナチに立ち上がり「日米開戦不可を警告」日本に早期の和平を説いたドクター・ハックの人間像と時代の舞台裏が浮き彫りにされる。より鮮明にされるのは戦争末期の軍人・官僚の世界からの孤立と、情報遮断、そして思考停止だ。本書が今、出版されたということはそれは過去の話ではないという指摘だ。


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13日、4月25日にネパール中部で発生した大地震での被災者救助のため、日本の国際緊急援助隊員として現地に派遣された海上保安官から帰国の報告を受けました。


日本政府は地震発生後、直ちに国際緊急援助隊救助チームの派遣を決定。総勢70名の隊員のうち、海上保安庁からは高い救助能力を持ち、海猿として有名な特殊救難隊を中心とした精鋭14名が参加しました。


救助チームは地震翌日の26日午後にはネパールへ向け、日本を出発。現地での救助活動は、30度を超える暑さのなか、世界遺産の保護や、入り組んだ地形から当初重機が使えず、手作業でのがれきの撤去となるなど厳しいものとなりました。12日には、マグネチュード7.3の大規模な余震が発生するなど、現地は引き続き予断のできない状況が続いています。


12日には67回目の「海上保安の日」祝賀会に参加しました。今年も各国大使館、国会議員など多くの関係者が参加して盛大に開催されました。私は「海上保安庁の役割はますます重要になっている。現場の保安官の士気の高さは頼もしいばかり。体制強化に努めたい」と挨拶しました。


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人気お笑いコンビ「ピース」の又吉さんの話題の純文学作品。主人公の「僕」・徳永は熱海の花火大会で、天才肌の先輩芸人・神谷に会い、師弟関係を結ぶ。同世代の芸人が売れていっても、なかなか芽が出ない。


「漫才師である以上・・・・・・あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。だからお前の行動の全ては既に漫才の一部やねん。・・・・・・漫才は、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん」・・・・・・。神谷の日常は、それゆえ真っすぐで、ハチャメチャ、破滅的でもある。都会とメディアの喧騒のなかで、笑い、面白さを追い求める二人の日常は、常軌を逸する脱輪状況のまま無常世界を往復し、泣き、笑い、もの悲しさを伴なう時間を刻む。


笑いと逸脱、敗れもする人生、青春の直球・・・・・・。今もこうした世界と若者が残っていることを感じながら読んだ。


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雲一つない五月晴れとなった5月10日(日)、足立区の区議選・区長選が告示となりました。私の地元であり、公明党にとって統一地方選の勝利の締めくくり、また次の勝利へのスタートとなる重要な選挙です。定数45に14名の公明党候補が挑む厳しき激戦の選挙です。「仕事をするのが政治家。政治は結果」と各候補の豊富な実績と日頃の活躍を訴えました。


また、北区にとって最も大きな行事、「第60回赤羽馬鹿祭り」が盛大に開催され、パレード等が行われ、挨拶をしました。

近藤区長①.jpg  赤羽馬鹿祭り.jpgのサムネイル画像


シャボン玉日本.jpg

久し振りに野坂さんの肉声を聞いた思いだ。戦後70年、あの戦争、20年6月5日に焼け出された野坂さんと妹。「神戸が焼かれ、家族が死んだ6月5日が近づくと憂鬱になる」。飢えと深い闇、「他のことは忘れても、あの深い闇は昨日のことのように、ぼくにのしかかる。戦争をしょうがなかったではどうしても済まされない」・・・・・・。原点、原像はあまりにもくっきりとしている。豊かさとともに、自然は荒廃し、社会は浅薄になっている。いったん突き進み出すと止まらない風潮の日本。惰性で、思考停止の日本。そして、「大人の幼児化が目立つ。若者の老人化も同様」「ぼくらは戦後の歪みを背負っている。67年かけて出来た歪み、またこの数年のうちに生じた歪み、歪みは放置していても治らない」「あのテロ(9・11)は世界を変えたと言われる。・・・・・・国家対国家の場合は、会話が成立する」「(豊かさへの邁進)(使い捨て社会)成長だけを考え、便利さを望み、やっつけ仕事の積み重ねが負の財産として現在を押しひしいでいる」「昔、たまに目にする老人には威厳、風格、貫録のようなものが備わっていたように思う。・・・・・・威厳のあるおじいさんもいなくなった」「戦前、また戦後しばらくは、主に町内のガキ大将がうまく取り成した。さらに弱い者をいじめる行為は男として恥。・・・・・・ガキ大将の育つ環境は、もはや無い(豊かさが生んだ殺風景)」・・・・・・。


若者に、日本に、自ら全力で生きてきた人生観から、痛烈で切れ味鋭い二枚蹴りを決めている。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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