51k6vRjVi0L.jpg伝説のジャーナリスト、ノンフィクション作家・本田靖春について、その作品と数多くの関係者の証言から語る。「本田靖春 人と作品」だ。際立つ文章のうまさと弱者への情とリズム。人物も「含羞を帯びた男気、あるいは侠気(後藤正治)」「誇り高き"無頼"、精神の貴族(筑紫哲也)」「権力に阿らず、財力にへつらわない"由緒正しい貧乏人"(自称)」「どこからともなく滲み出る情感、背中に漂う含羞、風情ある大人のたたずまい(伊集院静)」「義とユーモアの人」「勉強家、努力家だが、文における素養が飛び切り豊かな人(南晋三・潮出版社社長)」と魅力にあふれていた。

本田は、「戦後という混沌とした時代を生きた人間」を描いた。「私の書くものは社会的弱者に対して甘いんです。強者と弱者がいたら迷わず弱者の側に立つ」と自身が言っているように、「戦後」は皆、生きることに必死だった。人びとは飢え、まともな家もなく、着るものも、履く靴すらなく、差別や暴力も横行していた。しかしその一方で、人びとは桎梏から解放され、自由と希望と熱気をはむ時代の息吹があった。無頼記者の栄光と挫折を活写した「不当逮捕」、闇市時代のアウトローを描いた「疵」、読売新聞社会部時代の若き日を綴った「警察(サツ)回り」、時代の子としての「『戦後』 美空ひばりとその時代」、吉展ちゃん事件の「誘拐」、金嬉老事件の「私戦」、"雑兵の群れ""町の登山家"による「K2に憑かれた男たち」、六ケ所村の部落・上弥栄の「村が消えた」、そして大阪読売新聞社の社会部長だった黒田清の「ちょっとだけ社会面に窓をあけませんか」・・・・・・。全てに「戦後」の一本の強い筋が通り、そして高度成長期の現場に溢れた心の"空洞"を吐き出した。

貧しき昭和20年代を知っている私、黒田清さんと「戦争展」について対談したこともある私、一回り上の本田靖春さんの世代の骨太のジャーナリストと長く接してきた私として、扱われた事件等も生々しく甦る。本書に出てくるジャーナリストや講談社や潮出版社をはじめとして、日本のジャーナリズムが真摯に"いい仕事"をしようと取り組んできたことも改めて感じ、自身を叱咤する。


三体.jpg地球文明と異星の三体文明の関わりを描くSF小説。2015年のヒューゴー賞(長編部門)をアジアで初めて受賞した話題作。宇宙との接触、地球文明の現在と未来、文革での知識人の悲惨さ等々を、巨大なスケールで縦横に描く。科学的な力業で押し切った意欲作だ。面白い。

軸となるのは中国人のエリート天体物理学者の葉文潔(文革で惨殺された理論物理学者・葉哲泰の娘)と、その約40年後のナノマテリアル開発者の汪淼(おうびょう)の2人。葉文潔は文革で失意の日々のなか、巨大パラボラアンテナを備える秘密の軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命に関わるプロジェクトが極秘で行われていたのだ。そして約40年後、世界的な科学者が次々と自殺していた。汪淼は、ある会議に招かれ、学術団体「科学フロンティア」の潜入を余儀なくされる。そこで三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム「三体」に入り、異様な感覚に驚く。そして、地球文明と三体文明との異次元と現実が交錯する。

系外惑星の存在と合流は、現実になると、夢ではなく、恐怖なのかも知れない。地球文明が制御のきかない「科学の進展」「欲望の増幅」のなかでどうなっていくのか。そうした根源的問いかけが、このSF小説の背景にある。「人類はいったい何をやっているのだろう。どこに向かっているのだろう」ということの問いかけだ。苦渋の果てに葉文潔らは「文明は、地球上の人類以外の生命を滅ぼし続けるだろう」「人類の文明は、もはや自力では矯正できない。三体文明に人類文明を矯正してもらう」などと問いを発するのだ。そして、地球文明と三体文明との交信が一瞬あるのだが・・・・・・。


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8日、公明党岡山県本部の夏季議員研修会に出席し、挨拶をしました。これには、全県から48名の議員が集合、次の戦いへの新たな出発を誓い合う会合になりました。

私は「公明党は太陽の党だ。議員はその地域の太陽として、地域で困っている人のために尽くすこと。誰よりも人と会い、地域を歩き、機敏に動くことだ」「議員は自分がその地域の代表だ、という自覚を持ち、地域行事にマメに食い込んで、地域の問題の解決に知恵を出していくことだ」「議員は誰よりも勉強し力をつけ、人脈をつくり、仕事をして結果を出すことが大切だ」などと挨拶をしました。

研修会に先立ち、岡山経済界の有識者の方々と懇談し、新型コロナウィルス禍において、直面する課題についてうかがい、意見交換をしました。


対決 日本史.jpg「戦国時代の日本は世界の大航海時代の中でとらえなければ理解することができない」「江戸時代に作られ、明治維新後も是正されなかった鎖国史観に人々はとらわれてきた」、そして「戦国時代におけるイエズス会の活動――。それはキリスト教の布教の観点からいわれるが、ポルトガルの支援を受け、その国益(主たるものは他国の植民地化)のために奔走したのだ」、さらに「関ヶ原の戦いは、重商主義か農本主義か、中央集権か地方分権かという国家路線の選択の乱だ」――。この3つの骨太の視点が提供され、それと信長、秀吉、家康の哲学・思想、戦略とのからみが交差し、浮き彫りにされる。

「信長は大化の改新が目指した律令制度に回帰すべきと考えた」「信長のビジョンを受け、秀吉は中央集権体制を作った。しかし暴走し、朝鮮出兵で失敗した」「家康は、地方分権と農本主義体制に日本を戻そうと幕藩体制を作った」「16世紀の戦国時代――ポルトガルとスペインは帝国主義と植民地主義が駆動、キリスト教世界宣教計画を進めた」「十字軍によるヨーロッパのレコンキスタ。イベリア半島でテンプル騎士団を送り込み、イスラム教徒から奪還し、ポルトガルとスペインが立国」「種子島への鉄砲伝来は、漂着ではなく意図的。鉄砲製造工場を建設した」「キリシタン大名を利用した信長、イエズス会と蜜月を築いた信長」「スペインは信長に明国出兵を求めたが、イエズス会の本音を知った信長は袂を分かった(拒絶していなければ日本は植民地化されていた)」「本能寺の変と光秀と秀吉、イエズス会のからみ」「像も画も"窓"にすぎない。Windowsとアイコンとキリスト教神学」「イエズス会の掲げた"正戦論"(異端と異教への刃の違い)」「秀吉はイエズス会と手を組んで明征服を構想、明をキリスト教化して配下に収めようとした」「しかし、九州出兵(1587年)で、長崎が教会領と化し、キリスト教徒の結束の固いことに神国日本が脅かされると危機感をもった。"軒を貸したら母屋まで取られる""日本が植民地化される"と気付き、バテレン追放令を出す」「インテリジェンス・コミュニティとしての茶の湯」「信長は直線的、秀吉は多角的、家康は螺旋的」・・・・・・。

二人の対話は現代についても縦横に語られる。


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5日、公明党の「江東5区大規模水害対策検討PT」の太田昭宏衆院議員(同PT顧問)、岡本三成衆院議員(同PT座長)は、国土交通省荒川下流河川事務所と京成本線荒川橋梁(葛飾区、足立区)を視察しました。これには、高木美智代衆院議員、中山信行、薄井浩一(共に足立)、野上純子(葛飾)、上野和彦(江戸川)、加藤雅之(墨田)、細田勇(江東)の各都議会議員や、各区の区議会議員らが参加しました。

まず、荒川と隅田川を分ける北区の岩渕水門を視察。荒川下流河川事務所で、荒川上流に現在工事中の第2、第3調節池等の状況や流域全体の安全対策について調査を行いました。

続いて、京成本線荒川橋梁部分の堤防(右岸、左岸)を視察しました。この江東5区(足立、葛飾、江戸川、墨田、江東)では、地下水の過剰くみ上げによって地盤沈下が発生。いわゆる"ゼロメートル地帯"が広がる地域で、浸水想定地域には、約250万人もの人が暮らしています。もしも荒川が氾濫した場合、浸水の深さは5mを超え、2週間以上、水がはけない状況が続く可能性が指摘されています。

荒川下流で、最も低い堤防となっているのが京成本線荒川橋梁部分です。周囲より3.7メートル低く(戦後に3.4m地盤沈下)、増水時には、ここから決壊の恐れが懸念されています。現在、橋梁の架け替え工事の計画がほぼまとまり、土地の買収も始まったところです。架け替え工事が完成するまで10年をはるかに超える期間がかかり、緊急時の対策が必要となるため、土嚢を積むなどの対策状況を視察しました。

国と都と区が一体となり、橋梁の架け替えを含めた江東5区の大規模水害防止対策および広域避難のあり方など、しっかり対応していきます。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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