taisyuuno.jpg「ジェンダー 人種 アイデンティティ」が副題。「大衆の狂気」と言えば、ファシズム論やオルテガの大衆論を思い浮かべるが、LGBTに焦点を当て、「行き過ぎた多様性尊重の社会の危険性」を、容赦なく暴き出す。「アイデンティティ・ポリティクスの狂気についてよくまとめられた、理路整然とした主張を展開」「社会的公正運動が過激化するこの時代を案内する、洞察力に優れたガイドだ」「差別主義者というレッテル張りで異論を封殺、行き過ぎた多様性尊重がもたらした社会分断と憎悪の実態を暴く」と評される。大変な力作だと思うが、米英の「ジェンダー、人種、アイデンティティ」をめぐる論争は、日本より1周も2周も早いと感じる。

「ゲイ」「女性」「人種」「トランスジェンダー」の各章があり、その間に「間奏」として「マルクス主義的な基盤」「テクノロジーの衝撃」「ゆるしについて」が論述される。「アイデンティティ・ポリティクス(性・人種・性的指向など、社会的不公正の犠牲になっている特定のアイデンティティ集団の社会的地位の向上を目指す政治活動)」が狂気をはらむことについて、マルクス主義的な反権力闘争の基盤や、道徳的中立とは程遠いIT ・テクノロジーの発展が増幅装置となっていることは間違いない。その抑えとして、「インターネット時代が取り組もうとしない問題である『他人をゆるす』こと。誰であれ生きていれば間違いを犯す。そのため、健全な人間や社会には、許す能力がなければならない」を示している。

本書を読むと、トランスジェンダーの問題が、新たな転機をもたらしたことを抉り出している。「ゲイの権利運動は事実上終わった。人種的マイノリティーや女性の地位が概ね向上したことも周知の事実となっている。・・・・・・2015年は、トランスジェンダーの権利、認知、要求が主流化した年である」「LG BTの中のL 、G、Bを不確実なものとするなら、最後のTは、その中でもとりわけ不確実で不安定だ。ゲイやレズビアン、バイセクシャルを不透明なものとするなら、トランスジェンダーは未だ謎に近く、それでいてどれよりも極端な結果をもたらす」と言い、具体例を出しながら本人自体が揺れ動く様を紹介している。そして「社会的公正を推進する活動家の目的は、本書の各章で取り上げたそれぞれの問題(ゲイ、女性、人種、トランスジェンダー)のいずれにおいても、それを人権に対する不満として提示し、大いに怒りをかきたてるような主張をすることにある。彼らが求めているのは、改善ではなく分断だ。鎮めることではなく刺激することを、抑えることではなく燃え上がらせることを望んでいる」と指摘する。「抑圧されたもの」「犠牲者グループ」として、マルクス主義的な下部構造の一端が垣間見えると言うのだ。そして「犠牲者は常に善良で、正しく、賞賛に値するとは限らず、犠牲者でさえないかもしれない」「近年になって被害者意識を主張する人が異常なほど増えている」「人間をそのような行動にかり立ててきた衝動、弱さ、情熱、妬みに翻弄され続ける」と言うのだ。マーティン・ルーサー・キングの言う「『白人に権力を!』と叫ぶ人や、『黒人に権力を!』と叫ぶ人がいなくなり、誰もが神の力や人間の力について話をするようになるその日が来るまで、満足してはいけません。・・・・・・ありとあらゆる討論や議論から人種の要素を取り除き、ますます高まっている人種へのこだわりを追い払い、人種にとらわれない方向へと進むべきである」と言う。さらに「現代の狂気から距離を置く1つの方法は、政治活動への関心を維持しつつも、それを人生に意味を与えるものとして考えないことである。アイデンティティ・ポリティクスや、その表れとしての社会的公正、インターセクショナリティーのために自分を使い果たすのは、人生を無駄にしている」と、私たちの生活から政治的要素を取り除くことを提唱する。LGBと亀裂を生ずるほどのトランスジェンダー問題が勢いを得ている今、「私たちが経験している狂気とは、過去に存在した偏見に対する過剰反応である」と警鐘を鳴らす。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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