nihonnokeiza.jpg「『失われた30年』をいかに克服するか」が副題。長期にわたる「緩やかな1%程度のデフレ」に苦しんだ日本。日本経済をバブル崩壊から振り返り、繰り広げられた論争と実施された政策をマクロ経済学の見地から検証し、あるべき経済政策を論じている。

1990年代以降の30年間のうち、前半の15年は不良債権処理の先送りという失敗で特徴づけられる。問題解決が遅れたことが、経済社会に慢性的な不確実性と疑心暗鬼を生み、経済活動が萎縮して、企業も労働者の人的資本も劣化していった」と言う。そして「後半は、デフレ(物価の下落)脱却を最優先して、極端な金融緩和政策を20年の長期間にわたって続けたため、財政健全化への政治意思の後退、構造改革への意欲の減退、経済の新陳代謝の停滞などが起きて、長期の経済成長に必要な経済社会の構造変化が阻害された」と分析する。その政策の失敗の共通点として、「為政者の『再帰的思考の欠如』」をあげる。他者の思考について考えが及ばない。不良債権処理について言えば、銀行システムの都合を優先したため、破綻する銀行が出ないように何年もかけてゆっくりと整然と処理を進めようとした。その間に、銀行以外の家計や企業の間に疑心暗鬼が広がり、経済が停滞し、さらなる不良債権が発生するという悪循環に入り込んだ。その結果、他の国々で3年か4年で終わる不良債権処理に、15年もかかってしまった。そしてその後の2000年代以降の金融政策でも、ゼロ金利環境でのインフレ期待の形成メカニズムを進め、「『日本銀行がデフレ脱却の強い決意を、マネタリーベースの量で示せば、国民はインフレになると信じるはずだ』というかなり素朴なリフレ派の議論をベースにして、日本銀行はマネタリーベースを増やした。しかし、国民はそう信じなかった。さらにその後、インフレ期待を生み出す効果が出なくても、この議論は撤回されず、マネタリーベースを増やし続け、さらにマネーの増やし方を追加し続けた」と指摘。「物価」のみに神経を集中した縦割り的な金融政策論議に終始し、国民、市場、政治家がどのように考え反応するかという「再帰的思考が欠如していた」と言うのである。まさに1990年代の不良債権処理、2000年代のデフレ論争、2010年代の世界金融危機――その間の日米で行われた理論的な論争の紹介をしつつ、自身の見解を述べている。

コロナ禍は、世界の経済を激変させ、日本はここでもPCR検査やワクチンをめぐって、「再帰的思考の欠如」に覆われたと思われる。コロナ後の世界経済はインフレ基調、日本は世界からの「急性インフレ」と「慢性デフレ」の挟撃に遭い歴史的な円安の渦中ある。やっと物価と賃金が動き出し、デフレとデフレマインドの変化が見られる今、「日本経済のゆくえ――持続性とフューチャー・デザイン」の新たな提案は重要だ。人口減少・少子高齢社会の進展のなか、時間軸を持った政治と経済論議が不可欠になっている。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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